論文賞・ベストオーサー賞 2017年度

(著者の所属は論文発表時のもの)

論文賞
理論部門

[論文]

ハミルトン方程式に対する離散勾配法のRiemann構造不変性 (日本応用数学会論文誌 2016, Vol.26, No.4, pp.381-415)

[著者]

石川 歩惟(神戸大学)、谷口 隆晴(神戸大学)

[受賞理由]

本論文は、力学系を記述するハミルトン方程式に対して、優れた離散化手法であるとみなされている離散勾配法に関して、従前気づかれていなかった、新しい幾何学的不変性を指摘するものである。ハミルトン方程式はいくつかの表現形を持つが、特にハミルトニアンに関する勾配形で書け、その直接の帰結としてハミルトニアンが保存する。離散勾配法は、これを離散系でも再現するもので、ハミルトン方程式の長時間積分に対して優れた性能を示すことが知られている。ただしこの勾配形は相空間に導入する内積によって変化し、どの表現形に対し離散勾配法を適用するのが数値計算上最善であるかはこれまであまり議論されてこなかった。本論文の研究は、そこに着目し最善の表現形を模索するという工学的発想でスタートしながら、実際には多くの場合に勾配形の表現形に依らず離散勾配法スキームは一致する、すなわち離散勾配法が連続版と同様のRiemann構造不変性を持つことを数学的に厳密な形で証明した独創的なものである。この結果は理論的に興味深く関係専門家に大きな影響を与えるのみならず、方程式の表現形とその離散化という工学的視点にも新たな展開をもたらすと期待される。以上の理由により、論文賞委員会は本論文が論文賞(理論部門)にふさわしいと判断した。

実用部門

[論文]

2次元Helmholtz方程式の周期境界値問題に現れる固有値問題に対するSakurai-Sugiura法と周期多重極法を用いた数値計算 (日本応用数理学会論文誌 2014, Vol.24, No.3, pp.185-201)

[著者]

野瀬 大一郎、西村 直志(京都大学)

[受賞理由]

フォトニック結晶やメタマテリアル等の周期構造を有する光学材料の研究においてHelmholtz方程式は重要なモデル問題の一種である。本論文は、Helmholtz方程式の2次元1周期境界値問題に現れるFloquet波数の計算手法を提案したものである。Floquet波数とは周期両端における入射波の位相差であり、工学的に特に重要な共鳴アノマリの位置を特徴づける。提案手法はFloquet波数を固有値問題に対するSakurai-Sugiura(SS)法と周期高速多重極法を用いて計算するものである。SS法とは周回積分を用いて複素平面上の指定領域内の固有値を計算する手法であり、この性質はある程度存在領域を推定可能なFloquet波数の計算に適している。さらにSS法の内部で用いられるKrylov部分空間法の性質に着目し周期高速多重極法との親和性の高さを指摘する点も評価に値する。現存の有力な計算法を高いレベルで融合させた提案手法は、今後、周期構造を含む波動現象に対する有力な解析手法の一つになると期待される。よって平成29年度論文賞(実用)を授与するにふさわしいと論文賞委員会は判断した。

サーベイ部門

[論文]

超楕円Jacobi多様体のMordell-Weil群の計算(<特集>数論アルゴリズムとその応用研究部会) (日本応用数理学会論文誌 2015, Vol.25, No.3, pp.229-253)

[著者]

内田 幸寛(首都大学東京)

[受賞理由]

本論文は、代数体上定義された超楕円曲線Jacobi多様体のMordell-Weil群を計算する手法を、豊富な参考文献を引用しつつ概説している。Jacobi多様体のMordell-Weil群の計算は、代数曲線の有理点決定にも応用をもち、現在、これらは数論アルゴリズムの重要な話題として進展しており、本論文は、今後ますます重要性が増すと思われる本研究分野への手引きとして最適なサーベイ論文である。Mordell-Weil群の計算を、ねじれ部分の計算、階数の計算、生成元の計算と3段階に分けて解説しているが、それらの解説内で、それぞれ、暗号理論とも関連する有限体上の位数計算、Selmer群の計算、そして、標準高さの計算という、それ自体興味深い研究対象の計算手法にも言及されている。また、広く使われている数式ソフトウェアMagmaに実装された関連アルゴリズムについても説明されている。本論文を読むことにより、Mordell-Weil群の計算法を研究することが、数論研究者の具体例計算に役立つのみならず、様々な興味深い要素アルゴリズムと関連して豊かな数論アルゴリズムの一分野となっていることが理解できる。以上の理由により、論文賞委員会は本論文が論文賞(サーベイ部門)にふさわしいと判断した。

JSIAM Letters部門

[論文]

A fast and efficient algorithm for solving ill-conditioned linear systems (JSIAM Letters Vol.7 (2015) pp.1-4)

[著者]

Yuka Kobayashi(小林由佳)(東京女子大学)、Takeshi Ogita(荻田武史)(東京女子大学)

[受賞理由]

本論文では、係数行列が悪条件である連立一次方程式の数値計算を扱っている。行列の条件数が1016であるとき、倍精度浮動小数点数とその演算により得られる数値計算結果は一桁も正しくないことが多い。また、このような係数行列をもつ問題ではよく知られている残差反復による精度の改善も期待できない。著者らは浮動小数点演算を用いたLU分解と高精度な内積・行列積の計算法を用いて、悪条件な係数行列をもつ連立一次方程式に対する新たな数値計算法を提案した。提案手法に要する計算コストは理論上LU分解の7倍程度であり、実測の計算時間ではLU分解の6倍前後であることが示された。4倍精度演算によるLU分解を用いれば、通常の数値計算の数十倍の計算時間を要するため、提案手法は画期的と言える。提案手法により得られた数値解が十分な精度をもっていることも数値実験により示されている。さらにBLASやLAPACKなどの利用だけで高精度計算を含めて実装できるため、汎用性や並列化効率も高い。以上により、論文賞選考委員会は、この論文が日本応用数理学会論文賞(JSIAM Letters部門)にふさわしいものと評価する。

JJIAM部門

[論文]

Common formation mechanism of basin of attraction for bipedal walking models by saddle hyperbolicity and hybrid dynamics (Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics 2015, Vol.32, pp.315—332)

[著者]

Ippei Obayashi(大林一平)(東北大学)、Shinya Aoi(青井伸也)(京都大学)、Kazuo Tsuchiya(土屋和雄)(同志社大学)、Hiroshi Kokubu(國府寛司)(京都大学)

[受賞理由]

二足歩行の数学的なモデルを力学系理論の枠組みで論じた論文である。安定に二足歩行できるためにはそれに対応する周期解が安定でなくてはならないが、単に安定であると言うことだけでなく、その吸引領域はどれくらい大きいかなどの情報も不可欠になる。吸引領域の幾何学的な性質を調べ、どうしてそういう性質が具現化されるのか、いくつかのモデルに対し、共通したメカニズムを見い出すことに成功した。これによって、人間の二足歩行がどうして可能になるのか、数学的な理解が深まったと言うことが出来、極めてオリジナリティーの高い論文である。なお、この論文は、IppeiObayashi, Shinya Aoi, Kazuo Tsuchiya, Hiroshi Kokubu, Formation mechanism of a basin ofattraction for passive dynamic walking induced by intrinsic hyperbolicity, Proc. R. Soc. A,(2016), DOI: 10.1098/rspa.2016.0028 において扱われた受動的な二足歩行のモデルで得られたアイデアを普遍化することに成功している。すなわち二足歩行のモデルにおける吸引領域が、サドル点の双曲性とハイブリッド力学系の特徴から形成されることを、受動的な場合だけでなく能動的な場合のモデルからも明らかにしている。かくして、応用の広がりをこの分野の研究者に納得させた論文と言うことが出来る。 以上のことから、この論文は日本応用数理学会論文賞に値すると判断する。

JJIAM部門

[論文]

A new type of impossible objects that become partly invisible in a mirror (Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics 2016, Vol.33, pp.525-535)

[著者]

Kokichi Sugihara(杉原厚吉)(明治大学)

[受賞理由]

本論文は、錯覚や錯視という心理学の要素を数理的な手法によって実現し、2次元の絵や3次元の物体を制作するという分野に関する研究である。 これまで、著者によって、立体が描かれている絵を見たときに、目の錯覚によってそのような立体はあり得ないと感じるようなだまし絵を、実際に3次元の物体として作成する不可能立体を構成する数理的手法の提案がなされている。また、1枚の画像には奥行きの情報が含まれていないという数理的性質と、人間の脳が画像から立体を読み取るときに、直角が多く含まれる立体を優先するという心理学的性質を利用して、鏡に映すと、全く異なる立体に見えるようなもの(変身立体と名付けられている)を設計する数理的手法も提案されている。 本論文では、これらの既存研究からさらに進んで、鏡に映すと一部が消えるという新しいタイプの不可能物体を構成する数理的手法を提案しており、独創性と新規性に富んだ論文であると言える。その構成手法は、水平な面に描かれた絵を斜めに見る時、方向によって高さが反転するという著者が見つけた心理学的性質と変身立体の設計法とを組み合わせた高度に数理的な計算を用いたものである。 それに加えて、鏡に映したときに、目の前にある3次元物体を鏡に映したものではあり得ないと感じるような芸術性も高い作品となっている。 本論文の主題は狭義の“実学”からは距離があるように見えるかもしれないが、人がどのように現実の物体を見るかという基本方程式が不明な視覚・知能分野に数理モデリングの手法を持ち込み、その仕組みを、数学を使って解き明かしている内容の深さが非常に優れている。人工現実をはじめとするコンピュータによる映像・画像作成の分野に新しい展開がもたらされることが期待できる。 以上のことから、この論文は日本応用数理学会論文賞に値すると判断する。

ベストオーサー賞
論文部門

[論文]

パーシステンス図の逆問題 (応用数理 2016, Vol.26, No.4, pp.7-14)

[著者]

大林 一平(東北大学)

[受賞理由]

大量のデータの「形」に関する情報を、トポロジーの概念を用いてコンピュータによって定量的に扱い研究する分野を位相的データ解析(TDA)と言い、ここ10年での発展は目覚ましい。パーシステントホモロジーは、TDA の中心的な道具であり、空間上の点集合に位相構造を作り出し、そのホモロジーを考えるための一つの技法である。結果としてパーシステント図を生成することで、データのマルチスケールな幾何構造を定量的に捉えることを可能にし、ガラスの原子構造の解析などに応用されている。本論文は、データからパーシステント図への対応だけでなく、その逆のパーシステント図からデータへの対応、すなわち、パーシステント図の逆問題の重要性を指摘し、その定式化と計算手法をわかりやすく解説している。また、そのために、パーシステントホモロジーに関する簡潔な紹介がなされている。本論文は、パーシステントホモロジーに限らずTDAや計算トポロジーとその産業応用に興味を持つ読者に有益な解説となっている。以上により、ベストオーサー賞選考委員会は、本論文が日本応用数理学会ベストオーサー賞にふさわしいものと評価した。

インダストリアルマテリアルズ部門

[論文]

潜在特性モデルによるプロジェクトリスク予測技術 (応用数理 2016, Vol.26, No.3, pp.25-28)

[著者]

井手 剛(IBM T.J. Watson Research Center.)

[受賞理由]

本論文は、大規模ITシステム開発におけるプロジェクトリスク予測の最近の試みとして、計量心理学に由来する確率モデルを利用した、プロジェクトの潜在特性のモデリングから、プロジェクトのリスク予測モデルの構築、開発現場への応用までを報告している。日本では、労働者の高い教育水準と、質の高いコミュニケーション能力を背景として、プロジェクトマネジメントにおいても自発的な改善に頼る傾向がある一方で、オフショア開発の増大などによる環境変化にともない、人間の勘と経験に頼らないアプローチの必要性を述べている。その後、一般に利用されているプロジェクトのリスク管理手法における問題点を指摘するとともに、プロジェクトの潜在特性モデルに求められる要件を詳細に検討した上で、実務の上でも現実的な確率モデルと予測手法を提案している。そして、応用例として、予測結果の解釈に関する解説と、実データを使用した評価結果を簡潔に報告されており、組織活動であるプロジェクトに対して、数理的な方法を応用することの意義を強く印象付ける内容となっている。以上により、ベストオーサー賞選考委員会は、本論文が日本応用数理学会ベストオーサー賞にふさわしいものと判断した。