書評

矢崎成俊「実験数学読本──真剣に遊ぶ数理実験から大学数学へ」(日本評論社, 2016)

2019年02月02日

宮路 智行

みやじ ともゆき

明治大学先端数理科学インスティテュート

ユニークな本である.実験のレシピと写真に数理モデルの構築および数理解析というスタイルで本書は綴られている.ホームセンターで入手しやすい道具でできる実験を通して,微積分,ベクトル解析,常微分方程式,偏微分方程式など大学で学ぶ数学の活きる様が発見される.専門的な詳細は避けられており,読本の名の通り親しみやすい文章も相まって,大学初年次の微積分を学んだ学生なら『「数学を発見」あるいは「数学を抽出」する』という本書の心を理解できるだろう.

本書は第I部から第IV部までに振り分けられた12の章と,第I部に先立つ第0章の計13章から成る.第0章は,20の数理実験に関する実験観察と数学的考察が見開き2ページずつ簡潔にまとめられており,本書の核心を感じさせる.20の実験のうちの半分は本書の本論で改めて研究される. 以下,各部のおおまかな内容を紹介する.

第I部「連続関数と微分法についての数理2章」

同一の世界地図を二枚用意して,一枚をぐしゃぐしゃに丸めてもう一枚の上に載せ,真上から見る.丸めた地図と広げた地図とで一致する地点が世界にただひとつだけある……という不思議とともに第1章が幕をあける.写像の不動点が定義され,OHPシートに印刷したドットパターンで不動点を観察する.不動点の存在を示す縮小写像の原理と,その応用としてニュートン法が紹介される.「世界地図の数理」と題されているが,地図投影法についてはメルカトル図法が『脱線』として挿入されるにとどまる. 第2章は石鹸膜の実験を題材に表面張力にまつわる数理が展開される.

第II部「常微分方程式についての数理5章」

ペットボトルと金具とひもでブランコをつくる.振り子の運動方程式を導き,TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」のブランコを思い出す.単振動による近似により,ハイジのブランコは非常に危険であることがわかる.しかし,振幅が小さいという仮定を逸脱しているから,元の振り子の方程式に立ち戻る.果たして危険を免れるのか? 手作りのブランコとハイジの観察,そして微分方程式モデルを通して,振動運動への理解が深まっていく.続く5章では個体群動態のモデルを通して,指数的増殖やロジスティック増殖,微分方程式の定性的理論,カタストロフ理論について述べられる.第6章では変分問題,第7章ではメトロノームを題材に同期現象が考察される.本書では初期値問題の数値計算手法については述べられないので,学生が数値実験を再現するには別途勉強する必要がある.

第III部「数値計算と次元解析についての数理2章」

第8章は次元解析について述べている.単位や尺度の話から次元解析への入門,バッキンガムのΠ定理が紹介され,次元解析のいくつかの例がある.数学科では次元解析に触れる機会が(おそらく)あまり無いので,とても嬉しい章である.第9章ではパイこね変換やニュートン法の数値実験を通して浮動小数点数と丸め誤差について学ぶ.表計算ソフト(Microsoft Excelなど)で数値実験を行うところにも本書の精神が垣間見える.

第IV部「偏微分方程式についての数理3章」

第10章は凍結実験を導入として,熱方程式の導出とステファン問題について述べられる.後半は雪の結晶成長の実験にあてられている.ただし,数理モデルによる議論は割愛されている. 第11章は非圧縮性完全流体を題材としている.大気圧の存在を実感するための実験から始まり,ガウスの発散定理とグリーンの公式を経て,オイラー方程式が導出される.オイラー方程式からアルキメデスの原理が導かれる.第12章はナビエ・ストークス方程式およびヘレ・ショウ問題の実験と数理モデルについて述べられる.

読本という名の通り,網羅的な専門書ではない.本書では数理モデリングに焦点があてられており,必ずしもすべての題材について数理解析が行われてはいない.『研究』 として読者の練習問題としている問題もあれば,そうでないものもある.読者が自分で問題を見つけ出す余地が十分残されている.これは本書冒頭で述べられている著者の気持ちに則している.また,本書に書かれていない切り口で現象を数理的に捉える余地もあり,教師の立場から見ても本書は講義のための様々なヒントが得られるアイデアの源泉である.評者は明治大学総合数理学部で行った現象数理学の入門的な講義において本書に大いに助けられた.

とはいえ,網羅的でないことは本書の弱点では決してないが,これ以上も求めたくなってしまう.必ずしも物理法則に基づかないモデリング,代数や幾何に焦点をあてた題材,数値計算手法とシミュレーションを展開できないだろうか.数学・数理科学に対する期待が高まり,現象数理学教育がますます重要となれば,より詳細な現象数理学の入門書も必要だろう.その役割を担うのは現象数理学の教育研究拠点のある明治大学中野キャンパスか……と評者が個人的に(勝手に)使命感を感じるのは,前述の講義の経験によるところが大きい.著者の実験数楽者としてのキャリアを確固な基盤とする本書を真似できるものではないが,これからの現象数理学教育のために本書から学ぶべきことは多い.