書評
『数学の現在i、е、π』(斎藤毅・河東泰之・小林俊行(編))
2017年03月08日
横山 知郎
よこやま ともお
京都教育大学 数学科
本シリーズは,東京大学理学部数学科の学生向けの必修の講義の「数学講究XB」という講義で,40人弱の教員がそれぞれの専門を1人ずつ1時間で紹介した内容を3冊(i,e,π)にまとめたものです.聞くところによると,この3冊の順番は絶対値の整数部分となるので,iが1巻,eが2巻,πが3巻となるそうです.本シリーズの「はじめに」に”読みやすさも考えて近い分野の講義は同じ巻にまとめましたが,ぜひ3冊とおして読んでください.一見かけ離れて見える分野でもよく読むとおなし話題を扱っていたり,1つの分野での発見がほかの分野に影響を及ぼしていたりすることに気がつくかもしれません”とありますが,本当に,代数,幾何,解析,応用(さらに物理,生物,医学,計算幾何学など)が非常に強く繋がっていることに驚かされます.そこで力学系やトポロジーなどに多大な寄与をした数学者のアンリ・ポアンカレをキーワードにして,3冊のつながりを紹介します.
iにおいて,ポアンカレという単語を見出せる講は多くはありませんが,川又雄二郎氏による第8講の”代数多様体を定義する方程式系を直接研究することは得策ではありません.-中略- そのような表面的な観察ではなく,代数多様体の本質を捉えたいのです”という文章は,ポアンカレが3体問題が解けないこと(非可積分性)に関連して力学系を創出した際に論文で述べた思想”一般に,既知函数によって微分方程式は積分できない. -中略- もし(不)定積分によって解が求められる場合に制限してしまうと,研究の場が著しく少なくなってしまう. -中略- 全ての函数の理論へのアプローチは定性的な部分からされるべきである”(抄訳)(Mémoire sur les courbes définies par une équation différentielle)に近いものを感じます.白石潤一氏による第11講では,特殊函数や超幾何函数の組み合わせ論的性質を眺めながら,特殊函数と4重和表現の関係について述べています.
e(解析や応用)でも,π(トポロジー)と同程度にポアンカレの記述があり意外でしたが,さまざまな数学の分野が深くつながっていることが感じられました.実際,ポアンカレという単語を見出せる講は以下の4つがあります.河東泰之氏による第1講では,群,環,体などが物理と深く結びついた側面で拡張され,場の量子論を通じて作用素環論と共形場理論との結びつきが描かれています.坂井秀隆氏による第7講では,絶海の孤島と思われていたパンルヴェ方程式が物理学や数学自身とつながっていく話,すなわち”普遍へとつながっていく特殊の話”を,新しい特殊函数をキーワードにして展開しています.齊藤宣一氏による第8講では,ポアンカレが注意したように純粋数学と応用は分かち難いものであることを述べて,”数値解析は,数学的真理の追求と数学を通した社会への貢献を両立できる”ことを説明しています.片岡清臣氏による第11講では,遷音速や回折現象に現れるオイラー・トリコミ方程式という曲面を境にしてタイプが変わる偏微分方程式などを取り扱っています.
πにおいては,ポアンカレという単語は以下の4つの講に現れています.小林俊行氏による第1講では,対称性を中心に代数幾何解析のつながりを概観しており,数学のつながりを強く感じることができます.平地健吾氏による第3講では,多変数複素解析について,ベルグマン核やアインシュタイン計量や繰り込みなどの理論物理に関連深い話題が紹介されています.河野俊丈氏による第5講では,ポアンカレが多大な寄与を与えたトポロジーと共形場理論との結びつきが示されています.林修平氏による第9講では,力学系の誕生から非双曲力学系理論の歴史を簡潔に紹介しています.
本シリーズの良いところは,普通の数学書ではあまり語られない,それぞれの著者による各分野の本質の捉え方などを知ることができる点です.さらに,それぞれの巻末には「よこがお」の「ひとこと」という著者の自己紹介などが書かれた部分があり,本シリーズの著者はどこか知らないところにいる歴史上の人物ではなく,身近に生きている数学者であることが実感できます.例えば,志甫淳氏の”数学で苦手な分野があってもそれを避けたとしても,いつかはそれをすることになる -中略- だから基礎的な数学は一通りする方がよいというわけだが,逆に,はっきりとした目標があると,昔避けていたことへの新たな興味が持ててよいかもしれない”という言葉に思わず頷いてしまいます.
以上からわかるように,本シリーズを読むことは,数学を概観したいという学生や研究者にとって大変有益です.自分に関係ある分野を読むだけでも関連分野を効率良く概観することができますが,3冊全てを読み通すと強く結びついている数学を体感することできます.最後に,学生やさまざまな分野の研究者が本シリーズを読破して,数学の現在のその先を作ることを期待します.