書評

『市場は物理法則で動く―経済学は物理学によってどう生まれ変わるのか?』(マーク・ブキャナン著、熊谷玲美訳、高安秀樹解説)

2016年06月11日

池森俊文

いけもり としふみ

一橋大学大学院商学研究科

本書は米国のサイエンスライター、マーク・ブキャナンによる経済理論に対する問題提起の書であり、経済学や金融論に数理的な手法を適用してきた者にとって、考えるべき多くの論点を提供する好著である。原題は「Forecast: What Physics, Meteorology, and the Natural Sciences Can Teach Us About Economics」で、この日本語タイトルには翻訳者・解説者の強い思い入れが感じられる。
(1)
本書の書き出しは、米国カンザス州に頻発する竜巻の発生メカニズムと、米国株式市場で発生した高頻度取引が原因とみられる「フラッシュ・クラッシュ」と呼ばれる市場崩壊メカニズムに「正のフィードバック」という共通性が存在するという指摘から始まる。
それに対して一般に経済学とりわけ金融論は、長年に亘って現実を無視し、バランスと均衡という概念を基礎として、システムをバランス状態に戻す力である「負のフィードバック」が働くという考えをベースにしており、この「フラッシュ・クラッシュ」現象を十分に説明することができなかったばかりでなく、この考えの延長である「市場の知恵に委ねれば、神の見えざる手によって何事もうまく運ぶ」という思想の下、過去30年に亘って世界中の国に「自由化」という産業の民営化と市場の規制緩和を進めることによって、数々の問題を顕在化させたと指摘する。経済学や金融論は、今こそ均衡という古臭いこだわりを捨て、非均衡の科学に基づいた理論を組み立てるべきだというのが本書の基本的な主張である。(第1章)
(2)
そのために、著者はまず市場に関する経済学や金融論の歴史を振り返って、その内容を検証することから始める。
アダム・スミスの「神の見えざる手」、ワルラスやジュボンズの「均衡理論」、アロー・ドブリューの「パレート最適」、ファーマの「市場効率性仮説」、ラドナーやルーカスの「合理的期待均衡」などを順番に振り返りながら、それぞれの主張の内容と、それを構成するための論理立てについて検証し、市場に関する経済学や金融論が「効率的市場(情報効率的であり、かつ資源配分という意味でも効率的)」という前提の下で組み立てられていること、その効率的な市場は「完備(あらゆる取引が可能なこと)」であるときに最もよく機能することから、先進各国で「市場の自由化」を進める政策が展開されてきた経緯について振り返る。(第2章)
(3)
第3章では、2008年の世界金融危機で「自己調整的な市場均衡」が働かなかったという事実を基礎に、これらの理論に対する著者の反証が始まる。
まずアロー・ドブリューの「パレート最適な均衡」は、需給がバランスする過程で過剰需要が生じたときには不安定な状態に陥る可能性があるという、ソネンシャインの研究によってすでに覆されたこと、市場が効率的均衡状態に至る理由としてあげられる市場参加者による「集団の知恵」ないしは「合理的行動」は、心理学者達のさまざまな社会実験によって否定されていること、市場に均衡をもたらすとされる裁定取引における「ファンダメンタル価値」の存在は単なる推測の域を出ないことなどを挙げて、「効率的市場」という考えが論理的に崩壊していることを示す。
(4)
第4章から著者は、このような市場に関する経済学や金融論を正しく再構築するための「視点」を展開していく。まず地震発生の規模と頻度の関係を表すデータと金融市場変動の変動幅とその発生頻度を表すデータには、ともに「べき乗法則」に従うという共通点があること、それによると市場クラッシュのような極端な出来事はそれほど稀な出来事ではない(結構、高頻度に起こる)こと、市場変動そのものの時系列データに自己相関は無いが、市場変動幅(ボラティリティ)の時系列データには長期記憶があること、しかしながら地震がそうであるように市場構造の詳細部分を調べても、そのダイナミクスの説明は見つからない状況を暗示していることを指摘する。そして、米粒の山に一粒ずつ新たな米粒を落としていくと、ある時突然に雪崩を発生させるという実験を例に挙げて、この現象と地震発生や市場変動発生との類似性を示し、市場変動を「非均衡系」で考えることの重要さを主張する。
(5)
それを受けて第5章からは、経済学や金融論の基礎となっている「人間は皆、期待される利得を最大化するような合理的な行動を選択する」という仮定、「投資家は投資対象の収益性について共通の見通しを持っている」という仮定、「市場参加者は誰も同じ利率で借入や運用ができる」という仮定などは、いずれも推論の演繹を可能にするために設定された現実を無視した便法であり、経済学や金融論を有用なものに再構築するためには、実際の人間の行動パターンや現実の市場を正しく観察することから始めなければならないという主張を展開する。
具体的には、経済学や金融論でよく用いられる「合理的行動をする代表的個人」という設定をやめて、得られた情報から「学習しながら自らの行動パターンを変えて相互作用をする市場参加者」で構成された市場モデルの例を紹介する。そのモデルは人間の行動を科学した認知心理学の知見を市場理論の基礎として取り入れたもので、そのようなモデルからは現実の市場変動に見られる予測可能市場から予測不能市場への「相転換現象」などが出現することなどを示して、そのようなアプローチの有効性を示唆する。(第5章、第6章、第7章)
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第8章では、最近の金融市場がITの高度化を背景とした人工知能による超高速(かつ高頻度)トレーディングの増加や、そのような手法の複数のアセットクラス(株式、外貨、コモディティー、エネルギーなど)への拡大、取引システムのネットワークによる相互接続などを通じて、危険なフィードバックやトラブルが突然に発生し、それらが連鎖する可能性が高まっているとして、市場の安定性を確保するためのルール導入の必要性と、そのためにそのような不安定性を制御する手法確立の必要性を主張する。
(7)
しかしながら、そのような目的で1960年代に広まったマクロ経済モデルは、経済変数間の定義式や時系列データから推計された回帰式を含む複数の方程式系によって記述され、起こり得る将来の変化を予測し、有効な政策についての何らかの方向性を示そうとするものであったが、その有効性を高めるために必要とされた各関係式のミクロレベルでの基礎づけは、単なる思考実験に終始して実証的な証拠に基づいていなかった。結果としてモデルによる予測値は実績値と大きく乖離して、マクロ経済モデルは市場の不安定性の制御に役に立たないものとなっているとして、著者は再度、経済学は「人間は行動を最適化する」という前提をやめ、他人から影響を受けやすい「社会的動物としての人間」を正しくモデル化して、その理論構成を現実に合致したものに組み替えるべきだと提言する。(第9章)
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そして最終章では、金融予測センターの設立を提言する。そこでは金融システム全体に関わる広範囲のデータを収集し、世界の大手金融機関の相互作用ネットワークを分析したり、金融システムが破綻するようなシナリオを検証したり、金融システムにおけるレバレッジや相互接続密度、個々の金融機関へのリスク集中度などの指標を定期的に算定して、各国の政策決定者に提供する。それによって完全には消し去れない市場の脆弱性を弱めることができると主張する。
そのためには「物理学、工学、心理学、生物学など他分野からの刺激が必要である」という欧州中央銀行総裁クロード・トリシエの演説を引用して本書を結んでいる。
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2008年の金融危機以降、各金融機関は従来の経営管理への反省から、①合理的な手法による経営環境シナリオの作成とそれに基づく経営戦略の立案(フォワード・ルッキングな経営管理)、②経営破綻に陥るようなストレス・シナリオのシミュレーションとそれに対するアクション・プランの作成(ストレス・テストの実施)、③市場クラッシュ等の予兆分析などへの関心を高めているが、これらの課題への対応には、いずれも本書のテーマである市場レベルでの考察が不可欠となる。本書の内容はまさにこれらの課題に対する重要なインプリケーションを持っており、本書はそのようなテーマに取り組む金融技術者にとって有用なヒントを与えてくれるものと思われる。
なお評者は、長期間に亘って金融に関する数理技術の開発を担当してきたが、その間に開発の対象は新金融商品から銀行が保有するポートフォリオ管理手法へと変遷してきた。本書のテーマは金融市場であり、金融技術の対象が時代とともに金融商品(=∑キャッシュフロー)から金融主体(=∑金融商品)へ、さらに金融市場(=∑金融主体)へと階層アップしてきているのは大変に興味深い。
(了)