書評

髙崎金久著『線形代数と数え上げ[増補版]』(日本評論社,2021)

2022年10月21日

上岡 修平

かみおか しゅうへい

京都大学

数え上げは組合せ論の基本的なテーマのひとつであり,皆さんよくご存知の話題である.例えば高校数学では場合の数の問題として,2点間を結ぶ格子路が何本あるか数えたり,サイコロの出目のパターンが何通りあるか求めたり,またその結果からいろいろな確率を計算したりする.本書で扱うのは3次元ヤング図形(平面分割ともいう.)やグラフ理論にまつわる数え上げの問題であり,そうした初歩的な問題より設定が少し複雑である(が理解するのは難しくなく,何より解がとても美しい).本書は,こうした数え上げの問題を線形代数の道具で解くためのアイデアを紹介したものである.特に行列式に基づく強力で興味深い手法のいくつかを,線形代数の言葉で平易に解説している.

本書は,雑誌『数学セミナー』(日本評論社)上で2010年から2011年にかけて連載された同題記事を,加筆修正の上単行本化したものである.連載時に合わせて第1部と第2部の2部構成になっており,それぞれ独立に読むことができる.第1部では3次元ヤング図形の数え上げを,第2部ではグラフ上の完全マッチングと全域木の数え上げを扱っている.

第1部で扱っている3次元ヤング図形は,整数分割を表すヤング図形を3次元的に拡張したものであり,組合せ論において現在でも重要な研究対象である.本書では,3次元ヤング図形の母関数を与えるMacMahon公式の導出を題材に,非交差経路に関するLindström-Gessel-Viennot(LGV)公式のアイデアを詳しく解説している.LGV公式は,グラフ上の非交差経路の重み和(重み付き母関数.統計力学では分配関数に相当する.)を行列式で表す一般公式であり,数え上げの垣根を越えていろいろな分野に応用がある.本書では,3次元ヤング図形の母関数をLGV公式を用いて行列式(成分は二項係数のq類似になる.)で表す流れを,LGV公式の完全な証明込みで丁寧に解説している.また行列式の値を求めてMacMahon公式を得る過程において,シューア関数など対称式の組合せ論を展開している.特にヤコビ・トゥルーディ公式(シューア関数を基本対称式や完全対称式の行列式で表す重要な公式である.)をLGV公式を用いて導出する下りは,LGV公式の面白さを示す好例であろう.

第2部の話題はグラフ理論に関連する数え上げ問題である.第2部の前半は,統計力学におけるダイマー模型,グラフ理論の用語では完全マッチングを調べる際に用いられる,カステレイン行列(Kasteleyn matrix)の解説である.カステレイン行列の方法は,ダイマー模型の分配関数,あるいはグラフ上の完全マッチングの重み和を計算するための汎用的な手法である.カステレイン行列は,グラフの重み付き隣接行列の成分に巧妙な符号を付けたものであり,その行列式は完全マッチングの重み和と等しくなる.本書では,カステレイン行列の方法を証明を含めて解説している.また当手法の原点である正方格子上のダイマー模型を例題に,カステレイン行列の行列式を計算して分配関数を求める流れを詳しく解説している.この行列式の計算は行列の固有値分解に基づいておりとっつきにくく感じるが,そこを丁寧に説明しているのは読者にとってありがたい.

第2部の後半は,グラフ上の全域木に関する行列と木の定理(matrix-tree theorem)の解説である.行列と木の定理によると,与えられたグラフのラプラシアン(微分作用素であるラプラシアンの離散類似と見なせる行列である.)の余因子は,符号を無視すれば,そのグラフ上の相異なる全域木の個数に等しい.行列と木の定理は,キルヒホフ(電気回路に関するキルヒホフの法則などに名を残したあの人である.)の名を冠して呼ばれることもある古典的な定理であるが,グラフ理論の教科書や授業で取り上げることは稀であると思われる.本書では,行列と木の定理の重み付き版を扱い,その考え方と証明を解説している.また関連する話題として全域木と完全マッチングを対応づけるTemperley対応についても解説している.

数え上げを念頭に本書を読み進めていくと,普通の授業や教科書で扱うことの少ない線形代数の別の顔がいろいろと見えてくる.本書は初学者向けに丁寧に書かれており,ほとんどすべての定理や公式に対して例や図解を含む分かりやすい解説ときちんとした証明が与えられている.本書は,当分野への入門として,線形代数の理解を助ける「外伝」として,また学生向けセミナー等の題材として恰好の1冊であろう.本書に興味を持たれた方には,同著者による姉妹書『線形代数とネットワーク』(日本評論社,2017)や,同様の話題を含むD. M. Bressoud『Proofs and Confirmations』(Cambridge,1999)をお薦めしたい.