書評
『計算と地球環境』(住 明正,露木 義,河宮 未知生,木本 昌秀 著)
2013年08月06日
村上 茂教
むらかみ しげのり
気象大学校
計算と地球環境(岩波講座 計算科学5)
住 明正,露木 義,河宮 未知生,木本 昌秀 著
岩波書店, 2012年
地球環境科学と計算機の関わりは、数学者のフォン・ノイマンや気象学者のチャーニーらを含むプリンストン高等研究所のチームが黎明期の電子計算機ENIACで世界最初の数値的天気予報を成功させた時から始まったと言ってよい。以来半世紀以上の年月を経て、天気予報のための数値計算モデルは格段に進歩し、更には与えられた境界条件の下での大気や海洋の統計的な平衡状態を計算する気候モデルとしても使われるようになる。こうして地球環境に対する流体力学的な計算が一般的になる状況が、20世紀終わりから今世紀初め頃には整ってきた。こうした状況において計算科学としての地球環境科学が目指す方向性を考えると幾つかの可能性が浮かぶ。本書では、第一章として、地球環境科学における数値モデルの役割と意味が歴史的・概説的に述べられた後、今現在計算機科学として最も活発に動いている幾つかの分野を紹介する章が続くが、その一つひとつが上に述べた地球環境科学や数値モデル自体の目指す方向性を体現していると言える。以下ではそれらを(本書の章構成を逆にたどる形で)みてゆく。
元々短期の数値天気予報モデルとして始まった大気大循環モデルにとって、その予測を短期予報の理論限界を越えて延長することは自然な試みである。この場合、予測対象となるのは日々の天気変化をもたらす高低気圧そのものではなく、中緯度の上空を吹く偏西風に生じるゆっくりとした蛇行や、それに伴う複数の高低気圧群の経路の変化などの大気の長周期変動となる。本書の第4章「予測の科学」で扱われるのはこうした方向性である。この章では最初に数値予報モデルの現状や問題点が概観された後、長期予報の主たる対象である大気の長周期変動とその変動要因についての解説が続く。また章の後半では大気海洋結合大循環モデルをベースにした気候モデルによる予測である地球温暖化予測の諸問題と予測の不確実性の定量化について述べられる。
地球温暖化等の長期間にわたる気候変化の問題を考えるとき、短期の予報モデルとして使う際には定数として扱われていたモデルパラメータの中には、気候場の関数として考えるべきものも少なくない。例えば初期の地球温暖化予測では二酸化炭素等の温室効果気体濃度は年毎に変化する定数パラメータとして外部から与えられ、それに対する大気海洋系の応答のみが予測対象であったが、実際の地球システムでは陸域生態系と大気・海洋間の相互作用(炭素循環)を通じて大気中の二酸化炭素濃度は決まり、またそれが気候場や生態系に影響を及ぼす。このような地球システムの各サブシステム間の相互作用をできるだけ取り入れた地球システムモデルを用いた気候変化シミュレーションは「地球環境の理解」に大いに資するであろう。本書第3章で述べられるのはまさにそうした方向性である。ここでは今述べた炭素循環の他に、オゾンやエアロゾルを扱う大気化学モデルの定式化の基礎となる事項も述べられている。
本書で語られるもう一つの方向性は、数値天気予報の予測精度を高める技術としてのデータ同化である。決定論的なシステムでは完全なモデルと完璧な初期値から原理的には完璧な予測が可能な筈であるが、現実的には完璧な初期値が手に入ることは望めないし、モデル自体も完全とは考えられないのが普通である。このような場合に、より良い初期値をつくるための指針を与えてくれるのがデータ同化である。本書第2章「データ統合のプラットフォーム」では地球環境分野で用いられているデータ同化手法の代表的なものであるアンサンブル・カルマンフィルターと4次元変分法の考え方を数学的原理的にまで遡って説明した後、実際の数値天気予報システムで使われている種々のデータとその同化方法が概説される。
以上、本書の内容と構成を見てきたが、それぞれの分野において指導的立場にある著者達によるトピックスのコンパクトな記述は、多様な発展を遂げている地球環境科学の今日的な状況を俯瞰するのに便利である。