ラボラトリーズ

テキサス・スマイル

2018年10月20日

谷 文之

たに ひさし

テキサスA&M大学機械工学科

「なんだって?君は本当に,チャック・ベリーを聴いたことがないのかね?!」

隣の席に座る学生が,ちら,とこちらを見て,目の端だけでにやりと笑う.数秒前までの張り詰めていた教室の空気が緩み,また始まったぞ,という笑いがさざ波のように伝播する.

「君たちは文学も知らない,映画も知らない,音楽も知らない,ついでに連続体力学も知らない!教えてくれ,一体君たちは何に時間を費やしているんだ!?」

教授が歩き回りながら喋る声と,身振り手振りが次第に大きくなっていったかと思うと,ぴたりと歩き回るのを止め,最前列の空いている机の上に無造作に腰を下ろし,語り始めた.

「いいか,チャック・ベリーがいなければビートルズだって存在しなかったんだ.君たちはチャック・ベリーを聴くべきだ,絶対に.」

ここはアメリカ南部,テキサス州はカレッジステーション.その名の通り,テキサスA&M大学を中心とした小さな大学都市だ.日本で言うと,筑波研究学園都市に近い雰囲気だろうか.

教授の名は,ラジャゴパル.初対面の人は間違いなく名前を三度は聞き返す.何度,彼が電話の相手に「R-a-j-a-g-o-p-a-l, ラジャゴパル!」と繰り返すのを聞いたことだろう.そして,私が今までに出会ってきた人物のなかで,間違いなく最も鋭角的な鼻の持ち主である.今でこそ見慣れたものの初対面の頃は,インド人特有の大きなぎょろりとした目とその切れ味鋭そうな鼻に,射すくめられるような印象さえ抱いたものだった.しかも国際的に著名な,連続体力学の専門家にして数学・物理学・化学を始め理工学の幅広い分野に通暁した研究者.しかし,そんな風貌と肩書きとは好対照に,威厳を失わないながらもとても親しみやすく,権威を感じさせない印象を与える人物である.私はそんな彼の研究室に1年間,訪問研究員として所属することになったのだった.

ついでだから,と言われ彼の担当する連続体力学の講義に出席・聴講することになったのだが,これが面白かった.アメリカならでは,かつ大学院生向けとあってか,基本的に学生が黙って教授の話を聞く日本の講義スタイルとは全く異なる.隙あらば彼が学生に質問を投げかけ,学生が一生懸命頭をひねって考えた答えを一刀両断し,新たな問いを投げかけ,早口にジョークを飛ばし,時に詩を引用し,双方向のコミュニケーションが活発な,とても刺激に満ちた講義である.そして,そんな講義中,ほぼ毎週のように冒頭のような状況が発生する.彼が,講義内容に絡めて詩の一節を格調高く引用し(イギリスの詩人,テニスンやワーズワース,バイロンの登場回数が多かった),学生に「この詩を知っているかね?」と問いかける.十中八九,“No”という返事が返ってくる.すると,そこからがお決まりの展開だ.「なんだって?君は文学を知らないのか!文学を通じて,特に先人の思想に触れることは,私たちが善く生きる上で大切なことなんだぞ.偉人の足跡については,ジョニー・キャッシュのようなカントリーミュージシャンもこんな知的でウィットに富んだ詩を残している...(詩を引用)...さすがにブルース・ブラザーズを知らないとは言わないでくれ,お願いだ」.この時は,ぎょろりとした目が細められ,いたずらっ子のような表情たっぷりになる.この一連のくだりに嫌味な感じがいっさい含まれず,教室が笑いにつつまれるのは,ひとえに教授本人の愛嬌とユーモアたっぷりの人格によるものであろう.

ラジャゴパル教授の専門は,主に連続体力学,特にTruesdell らにより整備された有理連続体力学・熱力学に基づく理論的研究であり,混相流理論に関する著書を始め,粘弾性流体の流動,ポリマーの力学応答,混相流理論に基づいた粉流体モデル,破壊と亀裂現象に関する新たなモデル方程式の提唱など,代表的な業績は多岐にわたる.研究室は機械工学科に所属しており,学生は9月現在,博士課程の学生が4名,修士課程の学生2名,ポスドク研究員が私も含め2名の計8名である.そのうち5名が南インドの出身であり,彼らと日々接する中で,南インドの社会・宗教から大学の様子・結婚観に至るまで,実に様々な文化的側面を知ることができた.講義風景は,先に紹介したように私にとって大変興味深いものであったが,実際に直接議論をする中でも,とりわけ印象に残っていることは,人の知的な営みの一環としての科学における「知りたい」という欲求を常に大切にしていることである.実際,しばしば「『なぜ?』という問いこそがヒトを特別なものにしている」と説き,例えばある法則や定義を既存の知識として吸収するのではなく,その法則や定義はどのような問いに答えるために編み出されたものであり,従ってどこまで有効なのか,常に問い続けなければならない,と口にしている.表現形式こそもちろん違うものの,いわば詩と連続体力学に通底する動機としての,自然や美に対する彼の眼差しには,非常に大きな影響を与えられたと思っている.

ラジャゴパル教授および研究室の紹介はこれくらいにして,最後にカレッジステーション到着直後のちょっとした出来事をご紹介して,この小文を締めくくろうと思う.それは1月初旬,10年に一度という寒波に学内の噴水も凍りつくほどの寒さの中,初めて通学バスに乗った日のことだった.バスの車窓越しに,私は一軒のレストランを発見した.「谷  yummi yummi Mongolian Grill&Sushi」と看板を掲げる,そのレストランを.距離にしてアパートから徒歩10分ほど.店舗のオーナーの名前が谷なのだろうか,とまだ見ぬ誰かに思いを馳せる.寒波と心細さにかじかんでいた心が,この小さな看板によって一瞬にして溶かされるようだった.にわかに,この地に歓迎され励まされている気分になって,私はバスの中からひたとレストランを見つめた.自分でもつくづくおめでたいやつだと思う.しかし,この看板に込められた真の意味は,思っていたよりも直ぐに明らかになった.

 alt="谷 yummi yummi Mongolian Grill & Sushi"

ひと月ほどが経ち,生活がようやく落ち着き研究も軌道に乗り始めた頃のこと.ラジャゴパル教授が夫人とともに,歓迎の夕食ということでカレッジステーションに一軒しかないインド料理店に連れて行ってくれた.その際に私は何気なく,教授にこのレストランの話をして,近々訪問してみたいと思っている,と口にした.教授はぎょろりとした目を細めて,いたずらっ子のような表情たっぷりになったかと思うと,やにわに携帯を取り出し,Mongolian Grill&Sushi の電話番号を調べ,電話をかけ始めた.あっという間の出来事だった.電話を受けたレストランのスタッフに向かって,そちらのオーナーの名前は谷というのか,それとも誰か谷という人が関わっているのか,と矢継ぎ早に質問を始める.傍らでは夫人が小声で,そんなことを聞いてどうするの.迷惑でしょう,全く何をしているのか,と呆れた様子で呟いている.教授は意に関せず,今ここに日本人の友人がいるのだが,看板に自分の苗字が書かれていることに驚いていると言うのだ,と電話の相手に話し続けている.

ややあって電話を切った教授がスタッフから聞き出した事実は,以下の通りであった.

・オーナーの名前は,谷ではない

・スタッフは,漢字の意味すら知らない

・アジア料理店ということで,看板に何か漢字を使おうと考え,スマイルマークに似ているものを選んだ

研究者たるもの,「なぜ」という疑問をなおざりにせず,即座に調べる.その見本のような出来事であった.そして今日も私は,バスの中から「谷」と書かれた看板を見ながら帰宅する.