ラボラトリーズ

東京大学 生物医学と数学の融合拠点

2017年02月20日

井原茂男

いはら しげお

東京大学先端科学技術研究センター・大学院数理科学研究科

目的

数学・数理科学と諸科学・産業との協働による研究推進は、科学技術の共通基盤の充実・強化のための重要課題です。この意識の高まりの中で、文部科学省 (現在の所管は国立研究開発法人 日本医療研究開発機構)の創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業(生命動態システム科学推進拠点事業)における、生命の動態をシステム生物科学から解析する4つの拠点の一つとして、東京大学「生物医学と数学の融合拠点(Institute for Biology and Mathematics of Dynamical Cell Processes: iBMath);http://www.ibmath.jp」は2013年1月に生まれました。

 

「DNAからRNAが産生され、RNAから蛋白質が作られる」という分子生物学の基本プロセスはセントラルドグマと言われています。この過程の最初のプロセスであるDNAからRNAを転写する機構について、特にヒトを含む真核生物では複雑かつ高度に組織化されていることは知られていますが、そのメカニズムは未だ分かっていません。このメカニズムを数理モデルを用いて細胞の運動も踏まえた動態プロセスの力学系として解明するのが、上記の拠点の主目標です。

  先端科学技術研究センターの実験・情報ベースの研究と、数理科学的議論を親密にして数理モデル化を積極的に実現するため、理論解析の中心センターを数理科学研究科に新設した数理科学研究科附属数理科学連携基盤センターに設置し、公募により選考した准教授(2名)、助教(2名)、研究員(2名)を数理科学研究科で雇用し、人材確保および生命科学と数理科学の融合を進めました。他の3つ拠点とは異なり、iBMathでは数理科学の中で特に数学と分子生物学の融合を目標に、人材育成と研究活動を両方兼ね備えた拠点として活動しています。分野をまたぐ仕事は理解されにくく、成果もあげにくいのは確かですが、現代数学を習得した数学専攻の人材が、生命科学の活動にプロジェクトの期間内の一時的にでも参加することは、今後の数学の発展と生命科学の発展に極めて大きな影響を与えるに違いないと考えたからです。

2016年 玉原サマースクールの参加者と(東京大学玉原国際セミナーハウスにて)

人材育成の概要

拠点での人材育成および融合教育の促進のために、毎年度、部局横断型教育プログラムとして数理科学研究科の科目に生命動態システムに関わる内容をオムニバス形式で組み込む一方、医学系研究科の授業への数学専攻者の参加も進め、数学専攻の人でも生物医学の基礎知識を習得できるようにしました。受講者数も多く、提出物の内容のレベルも年々高くなってきており、融合は着実に進んでいると思われます。全学の学部教育の総合的改革の活動の一環として推進されている「全学ゼミナール」にも、本拠点のテーマ「生命のダイナミクスとその数理」を科目としてほぼ毎年実施してきました。

 

東京大学玉原国際セミナーハウスにて毎年、サマープログラムを実施し、生命科学と数理科学を専門とする教員と学生とがともに議論しあう機会を設けています。ここはどちらかというと医学専攻者が問題を持ちより数学専攻者と協同して問題を解決するスタイルをとりました。さらに、このサマースクールで数理生物学に興味をもった医学部医学科、数理科学研究科の学生・研究者を対象に、CREST「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」のチームと共同で東京大学医学部において「ミニ数理デザイン道場」と題した医学部学生、若手研究者向けの月1回の数理解析および論文指導の継続的なトレーニングコースを開設しています。これらから、数理モデリングおよびタンパク質構造モデリングに関して学部学生の論文が米国物理学会誌に掲載されるなどいくつかの成果を得ることができました。

 

融合研究推進のため、毎週木曜日の夕方には、生命科学および数理関係者がまずは共通で読めるR. Phillips等によるPhysical Biology of the Cell(2nd ver.)、平岡裕章氏の「タンパク質構造とトポロジー-パーシステントホモロジー群入門」、「Christian Reidys のCombinatorial Computational Biology of RNA: Pseudoknots and Neutral Networks」など、蛋白質からRNAまでの生体高分子の立体構造の解析上で有望と思われる数学的な扱いを習得することを目的として、同学部生も参加できる輪講のかたちで進めています。数学専攻者ならではの鋭い批判は、普通では得られない貴重な体験だと思います。

 

Aarhus大学のトポロジーの応用数理科学拠点であるQGM(Centre for Quantum Geometry of Moduli Spaces)と本拠点 (iBMath)とは、合同のワークショップJoint iBMath and QGM workshopを実施しました。またiBMath連続講演会として海外研究者の連続講演を行い海外研究者との連携を強化しました。若手研究者のキャリアパスを広げるために、東京医科歯科大学、カリフォルニア工科大学、グラスゴー大学数学科、ジャクソン研究所、フランス高等科学研究所等の国内外の研究機関との共同研究を進めています。特に企業との共同研究も推進しました。また数学協働プログラムを活用し、4回続けて「生命ダイナミクスの数理とその応用」と題する研究会を開催しました。

 

研究の概要:

拠点での研究について少し触れます。転写過程を調べるために、短い時間間隔で試料を調整するロボティクスを活用した検体調製自動化装置の開発を進め、高分解能時系列実験を進めその結果の数理モデリングとシミュレーションを行いました。興味のある遺伝子に対して転写の際にエクソン-エクソン間をポリメラーゼが3次元移動することを許したモデルから解析解を得る一方、様々な遺伝子の数値解析を進めました。ポリメラーゼの遺伝子上の濃度が高くなる状況では、エクソン-エクソン間のポリメラーゼの遷移が支配的になり、流量が増加する場合などシミュレーションから予測しました。後述する細胞の集団運動と合わせて、クロマチン構造の動態を原子レベルのモデリング、組紐理論からのアプローチを展開してきました。一方で、ロボティクスを活用した検体調製自動化装置は人工知能とも関連し、転写にとどまらず生命科学全体の実験方法に大きな影響を与え、さらなる発展が見込める兆しを見せています。

 

さらに、細胞の集団運動についても実験とシミュレーションからアプローチしています。高分解能顕微鏡等の実験室および解析用計算機を用いて、血管新生における血管内皮細胞の動態のタイムラプスイメージングを行い、デジタルデータに基づく細胞運動の一次元投影モデルを構築しました。結果と実験データの照合から、先端細胞と後続細胞とが入れ替わる現象を見いだしました。そのモデルとして、遠距離では引力、近距離では斥力となる細胞の間の2体相互作用を仮定すると実験結果をほぼ説明できることがわかりました。さらに、2次元空間での自己組織化現象とみることができる血管伸張と分岐の過程を説明するため、内皮細胞密度の変化をモデル化し、微分方程式として表し、伸張・分岐の厳密解を得ました。これにより伸張・分岐の現象をモデル計算から予測することを進めています。

 

R.C. Penner氏、 J.E. Andersen氏らと共同で、タンパク質およびその複合体を階層的に表示する一般的な方法をさらに拡張し、変異を入れて結晶解析が行われている具体的な蛋白質のいくつかに対しても構造解析を進めています。

 

上記に示した結果の幾つかは関連企業の興味を引き、多数の企業との共同研究に発展し、本拠点からの起業も実現しました。原理的な基礎的プロセスの探求を中心としアカデミックな観点から開始した研究教育の拠点ですが、その成果は、文字通り、数学・数理科学と諸科学・産業との協働に向けて発展しつつあります。