ラボラトリーズ
チェコ科学アカデミー 計算機科学研究所の紹介
2014年07月20日
保國 惠一
もりくに けいいち
Institute of Computer Science, Academy of Sciences of the Czech Republic
チェコ科学アカデミーの計算機科学研究所を紹介させて頂く。
筆者は総合研究大学院大学情報学専攻の速水謙教授のもとで最小二乗問題に対するクリロフ部分空間法の前処理に関する研究で平成25年3月に5年一貫制博士課程を修了し、平成25年4月から国立情報学研究所の宇野毅明研究室にポスドクとして1年間勤めた。平成26年4月から本研究所にポスドクとして勤めている。
研究所の概要
チェコ科学アカデミー(Academy of Sciences of the Czech Republic)はチェコスロバキア科学アカデミーを前身として平成4年に設立された、チェコ共和国の基礎科学を担う公の学術研究機関である。大きく分けて3つの部門、数学・物理・地球科学、生命・化学科学、人文・社会科学がある。このひとつ目の部門に属する計算機科学研究所に筆者は在籍している。本研究所は首都プラハ中心部から地下鉄で15分と交通の便もよく、住むうえでも静かで申し分ない。本研究所のdepartmentには計算手法、理論計算科学、非線形モデリング、非線形動力学・複雑系、最適化とシステム、医療情報・生物統計学といった分野があり、総勢80名近くの研究者が在籍している。
本研究所は博士課程の学生17名を受け入れており、チャールズ大学の数学・物理学科およびチェコ技術大学の原子力科学・物理工学科および電子工学科等が対象である。学生は、授業は所属大学で、研究は研究所でそれぞれ行っている。また、所員にはチャールズ大学で教鞭をとる方もいる。
印象
全般的な印象は、歴史のある確立された問題や手法に丁寧に取り組む一方、実用に対する気負いはそれほど強くなく、純粋な学問として研究に取り組むさまである。異分野との融合を強く意識し過ぎたり、やみくもに高く評価したりせず、むしろ結び付くべきものがそうなるのは自然で、ではその必然がなにかを探求することに面白さがあるようである。だが時には伝統や古典的なやり方を重んじるあまり、新しい話題を敬遠し、保守的に感じることもあるが、周囲の所員の興味は数学、科学、工学や技術に留まらず、文芸、映画、建築や音楽にも及ぶ。数学者が解決したいと思う問題意識と、芸術家が面白いと感じ、乗り越えたいと考えるそれには、根底に共通した通奏低音が流れ、問題の解決により湧き上がる感情的な感動とには矛盾がないということか。
昨今では環境倫理的にではなく、社会工学的に社会の中心を人間に据えたような研究がもてはやされることは珍しくない。ところが、実問題に対する応用・利活用は理解しつつ、それに囚われずに研究を行う姿勢もある。面白いと感じる素直な気持ちが真理を探求させる一方、面白いと思えるものには結果的に役立つものが多かったりするものである。暗に要求される「役に立つ」対象を脊髄反射的にヒトに限定してしまっている現状に気づかされる。
Departmentのメンバー
筆者が所属するDepartment of Computational Methodsは、数値線形代数で傑出した成果を上げられているZdeněk Strakoš教授(チャールズ大学と兼務)、Miroslava Tůma教授、Miro Rozložník博士、Petr Tichý博士、Jurjen Duintjer Tebbens博士らを有す。特に話題の中心はクリロフ部分空間反復法である。
Strakoš教授およびTichý博士は、共役勾配法(CG 法)および一般化最小残差法(GMRES) 法の解析を行っており、最近ではかゆいところまで手が届くようなクリロフ部分空間法に関する本を著された [1]。Strakoš教授からはチャールズ大学の授業に潜り込むことを促され、後学期にはその著書を使った講義を始めるそうで楽しみである。GMRES法の解析ではTebbens博士の仕事も鮮やかである。Strakoš教授の学生Jan Papež氏には内定以降様々な手続きから普段の生活に至るまで助けてもらい、お世話になっている。
Tůma教授は線形方程式や最小二乗問題に対する前処理法で活躍し、見事な実装技術をおもちである。筆者はTůma教授が主導する、アカデミーの研究プロジェクトConvergence and acceleration of iterative methods for solving practical applicationsに参加させて頂いている。
Rozložník博士はグラム・シュミット法のような直交化法に関する有限精度の誤差解析を手がけている。これを応用した各種の直交化法を使ったGMRES法の誤差解析が興味深い。Rozložník博士とは平成23年5月に開かれたInternational Association for Mathematics and Computers in Simulation (IMACS) の国際会議で議論をして以来共同研究テーマがあり、そのため大学院修了近くからポスドクの募集案内をいただくようになった。本研究所、European Research Consortium for Informatics and Mathematics (ERCIM) 、そして本アカデミーそれぞれに応募した末に採用された。このように学会、研究会、および国際会議は発表や情報収集の場であるとともに、学生にとっては就職活動の場でもある。名刺を携帯することは必須である。
メンバーの予定はお互いに確認できるようにウェブサービスを利用する等、結束が強い。昼食はdepartmentの枠を超え、同じフロアの所員と連れ立って食堂を利用する。
所内の日常
週に1回、所員や外部から訪れる研究者、学生も含めた中から選ばれた研究講演を1時間程度行うセミナーがある。筆者は以前の訪問時に、また先日も講演する機会を頂いた。4月には米国ワシントン大学のAnne Greenbaum教授、現在は米国ジョージア大学のFrank J. Hall教授が滞在されるといったように学術交流は盛んである。
また週に1回、briefing (図 1) という、所員が集まって所長から一週間の成果報告を聞く機会があるが、チェコ語で行われるため筆者はほとんどチェコ語の学習のために参加している。個人的には所員が顔を合わせる機会がしばしばあることは好ましいことだと思うが、周りの所員はbriefingに関してあまりいい顔をしない。理由は必然性がみえない、分野が違うと何をやっているのかわからない、英語で行うべきなど様々である。
筆者のオフィスがあるフロアでの習慣に、午前と午後にそれぞれ1回のコーヒーブレイクがある (図 2) 。そこでの話題は研究以外にも、研究所の問題点、スポーツ、子どもの進学、家庭の事情、欧州や自国の政治、芸能ゴシップ、国際情勢等と様々である。研究所の国際化が話題になることもあり、研究所のウェブページの改善、書類・メールの英語併記、プレゼンスを高めるための国際会議への参加等を熱心に議論することも多い。だが、お祝いや旅行土産のワイン・リキュールなどを昼間でも開けて乾杯してしまうこともある。
[1] Liesen, J. and Strakoš, Z., Krylov Subspace Methods: Principles and Analysis, Numerical Mathematics and Scientific Computation, Oxford University Press, Oxford, 2012.