ラボラトリーズ
モナシュ大学滞在記
2022年12月13日
出口 健悟
でぐち けんご
Monash Univ.
オーストラリアに赴任して早6年の月日が流れようとしている。噂通りメルボルンはとても暮らしやすい街である。一年を通して気候は穏やかで、休日には屋外カフェで談笑を楽しむ人々を見かけることができる。高層ビルがひしめくCBDエリアから少し足を伸ばせば緑豊かな大自然が広がっており、週末の気晴らしに困ることはない。町の中心を流れるYarra川のほとりには無料で使用できるバーベキュー台が設置されていて、それが何年経っても綺麗な状態で維持されているほどには治安が良好である。ありがたいことに日本食に必要な食材をあらかた手に入れることができるので、海外で暮らしているという実感はそれほどないように思う。ただ真夏の年越しはあまりに風情を欠くので、この時期はできる限り日本に帰国するようにしている。
私が勤務するモナシュ大学はGroup of Eightと呼ばれるオーストラリアにおける八つの主要校のうちの一つである。日本での知名度はあまり高くないが、某大学ランキングでは近年凄まじい躍進を見せている。正直なところ、オーストラリアは欧米に比べてのんびりしているだろうと高を括っていた。実際に生活を始めて強く感じたのは、この国が急成長する余地を残した「これから」の国だということである。モナシュ大学においても毎年環境が目まぐるしく変化している。特に5年ごとに学科長を外部から招待して入れ替える仕組みがあるのが大きい。当然学科長は期間内に明確な成果を挙げねばならないので様々な戦略を展開する。非効率なものは排除され、今や数学科の事務員は僅か3人であり、代わりに積極的に業務を外部委託している。トップダウンが徹底されており、物事を変えるための意思決定がとにかく早い。学期の途中でも容赦なくルール変更するのは日本人の感覚からするとちょっとまってくれよと言いたくなる。それでもいつも(概ね)なんとかなるのだから不思議なものである。
大学のトップは明らかに教育をビジネスと捉えている。パンデミックのおかげで、鈍い私でも留学生抜きでは大学経営が成り立たないということを思い知った。それもあってモナシュにおける教育業務はなかなかにタフである。教員数に対する学生数の比は一般的な日本の大学の実に四倍。さらに入試があってないようなものであるせいもあって、本当に幅広い学力の学生がいる。学生からの授業評価はテニュア取得や業績評価において致命的に重要な影響を及ぼす。それもあり、みな魅力的な授業をすることに心を砕いている。魅力的な授業?片言の英語で?これは片腕でボクシングをするようなもので、私が初めて請け負った授業の評価は惨憺たるものであった。教育長に直々に呼び出され肝を冷やしたが、今では笑い話の一つである。思い返すと、初めの1、2年間は演習でグループワークの面倒を見るのが特に嫌で仕方がなかった。みな私を学生と勘違いしているように感じ、そのため髭を蓄えてみたりもしてみたものだ。実のところは私が学生と教員の立場が対等でないと考えているのが透けて見えていたのだろう。フレンドリーに振る舞う術を覚えてからは演習も楽しい気分転換となった。
私がモナシュ大学に勤めることになったのは不思議な縁というか全くの幸運の賜物である。面接に向かう飛行機の中で妙なことになったな、と思ったのを昨日のことのように覚えている。その後、またしても運良く、テニュアと永住権を得ることができた。工学部上がりの私が採用されたのは、数学分野と応用分野の連携の強さが大学の特色の一つであるためだろう。(当時の学科長がこの特色を強化する方向に舵をとっていたのが大きかった。) 例えば数学の授業においても他学科の学生が数多く参加しており、独特なカリキュラムが組まれている。また、産学連携を促進するイベントが毎年のように組まれ、共同研究の起点となっている。このような連携はAustralian Research Council (ARC、日本学術振興会に相当する組織) から競争的資金を獲得する際に有利に働き、たとえ純粋数学であっても例外ではない。産学連携に関してモナシュ大学には地理的な強みもある。Claytonキャンパスの近くには道を挟んでCSIRO(豪州連邦科学産業研究機構)の研究施設があるからである。CSIROから教員としてモナシュに採用されるケースもあれば、その逆もある。また、メルボルン大学とは車で一時間ほどの距離であり、時に助け合い、時に良きライバルとしてお互いを高め合っている。
モナシュ大学の構内にはカフェテリアが点在しており、私も気分を変えるためによく利用する。さすがメルボルンにはこだわりのある方が多いだけあって、大学のコーヒーもとても美味しい。パンデミックの影もほとんど消え去り、キャンパスにも活気が戻ってきた。12時を過ぎて今この文章を書いているフードコートにも多くのお腹を空かせた学生が集まってきている。国際色豊かなだけあって、中華、イタリア、インド、メキシコ料理をはじめとした多種多様な店舗がある。数あるファストフードの中でもSUSHI(寿司ではない!)は特に人気で、いつも通り長い行列ができている。とはいえ、10月末で授業はひと段落するので、キャンパスはまた静かになるだろう。そうなると我々は次の学期の計画について本格的に話し合う。今年のretreat(泊まりで親睦を深め、今後の大学運営について相談する)の場所はYarra Valleyに決まったらしい。ワイナリーで有名で、飲み手の方々は楽しみにしている。
モナシュ大学では様々な事柄が発展途上であるため、積極的に大学を変えていく必要がある。少なくとも今の学科長はそう考えている。教員はいくつかのグループに分かれて様々な計画を立案し、retreatはその成果の発表の場でもある。私が関わっているグループでは、共同研究のさらなる促進について議論している。個人的には日本の研究者ともっと連携を図りたい所である。前任の学科長はこの点で私が優位に立てると期待したのだろう。実際、海外で長く生活して日本は人的資源に関しては今なお資源大国であると再認識した。その一方で、日本が国際連携に関してやや閉鎖的に思われているのは悔しい思いである。
今回のretreatでは若手研究者をモナシュ大学に短期間招待し、DECRA申請書の作成に注力してもらうプログラムを提案することを計画している。DECRAとはARCが運営する競争的資金の一つで、いわば若手研究者の登竜門である。提供される資金は潤沢であり、加えて三年間研究に集中できる環境が保障されるのが嬉しい。この計画が成功した際には日本からも応募があることを期待している。応募書類の準備はやや複雑だが、大学としてもDECRAが欲しいので、万全のサポート体制が整っている。この記事を読んで興味がおありの方はご連絡いただければと思う。モナシュ大学を含むオーストラリアの大学には他にも短期滞在型の共同研究プログラムがいくつかあり、審査を通過すれば渡航資金が得られる。日本とオーストラリアは時差もあまりなく、飛行機での移動は体感的には夜行バスとそれほど変わらないので、これからはもっと人の往来が増えていくのではないだろうか。もしメルボルンにお越しの機会があれば、是非コーヒーなどご一緒しましょう。