研究部会だより
「計算の品質」研究部会の紹介と展望
2020年07月21日
荻田 武史
おぎた たけし
東京女子大学
「計算の品質」研究部会は1992年7月に設立された。その目的は『「計算のやりっぱなし」の時代から脱却するための工学的方法論を確立すること』である。初代主査の故伊理正夫先生による当研究部会設立時の趣意書には以下のような方針が記されている。
- 精度保証付き計算、自動微分、丸め誤差の制御、区間計算、無限精度計算、等々のような、かなり高価につくが理論的に厳密性の高い方法(これらにも真に厳密なものといくらか近似的なものとがありうる)と、より伝統的、経験的な方法との比較評価(理論的、モデル実験的、および実規模計算によるもの)を中心とする。
- 特に、費用・効果の観点を重視する(”効果”の評価は立場により大きく異なるはず)。
今年度(2020年度)から、2代目主査の大石進一先生から当研究部会の主査を筆者が引き継ぐこととなった。そこで、改めて上記の方針と「計算の品質」に関する研究分野の現状を少し照らし合わせてみたい。
まず方針Aについて、現代の精度保証付き数値計算は、自動微分、丸め誤差の制御、区間計算をツールとして取り込んでおり、無限精度計算については、ベクトルの内積計算や行列積計算など、一部の計算については無限精度による計算と同等の機能を持つエラーフリー変換(Error-free Transformation)が開発されている。「高価」の定義にもよるが、現代の精度保証付き数値計算に必要なコストは、近似計算と比べて同程度で済む場合も増えてきている。2代目主査の大石先生は、主に精度保証の実用化を目指して分野の発展に大きく貢献されてきた。研究分野の発展において、方針Bが如何に重要であるかを見抜かれていたのであろう。
一方で、方針Aにある「近似的なもの」という方面では、これまであまり大きな進展はなかったが、近年、確率的な誤差評価が注目を集め始めている。これは精度保証のように100%厳密な誤差限界を与えるわけではなく、「ほとんどの場合に」正しい誤差評価を与える。精度保証は、近似計算の結果に数学的な厳密性を持たせることができるため、確率的な誤差評価や経験則によるそれに比べて本質的なアドバンテージを持つが、一方で、数値計算の誤差を過大評価しやすい側面がある。数値計算アルゴリズムのメカニズムを解明するときに、精度保証的な考え方よりも確率的な誤差評価を用いたほうが「うまく」説明できる場合がある。「計算の品質」について「最低限を保証する」のか「ほぼ正確に評価する」のか、状況に応じて使い分けることが今後重要になってくるはずである。
さて、当研究部会の近年の活動内容を紹介する。毎年、日本応用数理学会の年会と研究部会連合発表会では、オーガナイズドセッションを企画している。また、「科学技術計算と数値解析」研究部会、「行列・固有値問題の解法とその応用」研究部会と連携し、毎年12月に応用数理セミナーを開催して、精度保証付き数値計算を中心とした計算の品質に関する講演を企画している。2019年12月に開催された応用数理セミナーについては、その様子がJOMの記事(https://jsiam.org/online_magazine/report/3266/)として掲載されている。
また、2018年には「精度保証付き数値計算の基礎」というタイトルの書籍がコロナ社から出版されたが、執筆者の多くは当研究部会のメンバーである。現代の精度保証付き数値計算がカバーする多くの分野について、各分野の専門家が分担して執筆している。この本についての書評が、JOMの記事(https://jsiam.org/online_magazine/book_review/3279/)として掲載されている。
さらに、精度保証がメインテーマである国際会議SCAN (International Symposium on Scientific Computing, Computer Arithmetic, and Verified Numerical Computations)には、当研究部会から多くのメンバーが毎回参加している。概ね隔年開催であり、2018年は当研究部会の主査・幹事が中心となって組織委員会を構成し、早稲田大学でSCAN 2018(http://scan2018.oishi.info.waseda.ac.jp/)を開催した。次回のSCANは2020年にハンガリーで開催予定であったが、昨今のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響により、開催延期となったことは残念である。
このように振り返ってみると、当研究部会の主査であることの重みを実感せざるを得ない。初代主査の伊理先生は、冒頭に記したように先見の明とも捉えられるような研究部会の方針を示しており、2代目主査の大石先生は実に多くの企画を提案して実行し、それぞれ「計算の品質」に関する分野の発展に尽力されてきたことがわかる。筆者が当研究部会の主査として何ができるか、よく考えてみたいと思う次第である。