学会ノート
加古孝先生の思い出
2021年06月09日
須田 礼仁
すだ れいじ
東京大学大学院 情報理工学系研究科
私が最初に加古孝先生にお世話になったのは、2004年の年会である。当時加古孝先生は「科学技術計算と数値解析」研究部会の主査でおられ、年会で行われる部会のオーガナイズドセッションにご招待いただいた。私の方は、当時研究が一定程度まとまりつつあった高速球面調和関数変換法について講演をさせていただいた。若干の準備不足があったことを記憶しているが、加古先生にも会場の皆様にもご興味を持っていただいたようで、この年に始まった「若手優秀講演賞」の第1回の受賞者に選んでいただいた。ただし当時私は36歳であり、この賞の対象にふさわしいかどうかはいまだもって疑わしい。
ともかくそんなご縁があって、2005年4月から、日本応用数理学会の論文誌編集委員のひとりに加わらせていただいた。当時の編集委員長が加古孝先生である。日本応用数理学会には実に多様な研究をされている方々が参加されておられて、様々な分野の投稿論文の学術的価値を判断し、手際よく処理される加古委員長に感服したものである。
日本応用数理学会は、2012年5月に任意団体から一般社団法人へと移行した。ちょうどその時の会長が加古孝先生であった。私は2010年から総務理事として事務局業務を担当していたので、法人化にあたって主に事務局の準備作業にあたった。
法人格の取得は学会の長年の懸案であったということだが、かつての社団法人の制度は経済的にもマンパワー的にも大変負荷の大きなもので、法人化は検討されたものの断念されていたと聞く。その後、制度が改正され、一般社団法人・一般財団法人という枠組みができた。従来の社団法人は行政の監督のもとにあったが、一般社団法人は法に従う定款と、定款に従う法人運営であればよい、という形に整理された。大幅に敷居が低くなった機会に、多くの学会が法人化を検討したのだが、日本応用数理学会もその一員であった。当時は一般社団法人の仕組みができたばかりのため、現実的なノウハウが欠如しているところであったが、様々な学会と情報を共有できたことは幸いであった。
学会の理事の方々のご尽力のもと、定款の案が完成し、会員への周知を行い、移行の準備を進めた。2012年4月の総会で、一般社団法人への移行についての基本方針、法人の定款、事業の譲渡、会員の移行、旧学会の解散という、学会始まって以来の重大議案5つを加古会長の議長によりご審議いただき、ご承認をいただいた。
総会の後の懇親会で、加古孝会長が「法人化は須田の最大の仕事だ、慎重な先生方に任せていてはいつまでたってもできなかった」とおっしゃったのが大変印象に残っている。何が印象に残ったかというと、まず一つ目は、当時は、前任の久保田先生から総務理事を引き継いでようやく一仕事したところであり、まだこれからだと思っていたこと。二つ目は、十分慎重に事を運んだつもりであったが、闇雲に突っ走るような言い方にも聞こえたことである。しかし、この2つとも、後日その通りだと痛感することになる。総務理事を担当していた間、法人化ほど大きな仕事は(でき)なかった。そして、法人を設立したあとも、法律と定款に基づく運営のために、予想もしていなかったこまごまとした諸事で苦労をすることになるということである。
もろもろの準備が完了して、2012年5月22日、一般社団法人日本応用数理学会は法人登記され、法人が発足した(余談ながら、同日は東京スカイツリーのオープンの日でもあった。古い伝統によれば大変な吉日であったらしい)。名誉ある法人としての初代会長(正確には設立時代表理事)は、当然のことながら、加古孝先生である。
実はこのあとの移行が若干面倒であった。新学会が立ち上がっても、旧学会もしばらく残り、両者が併存する。移行の準備が整ったところで、会員と事業を旧学会から新学会に引き渡す。引き渡しが完了し、旧学会の残務が完全に終了したところで、旧学会を解散する。旧学会の理事会と新学会の理事会を続けざまに開催させていただくということも何度かあった。ややこしくて困惑された理事の方もおられたところ、加古孝会長は何食わぬ顔で粛々と議事を進めて下さった。今思えば大変ありがたかった。
2013年3月22日には、旧学会の理事会と総会を開催して旧学会を解散し、移行が完了した。続いて新学会の理事会、その後に懇親会を開催した。加古会長はお体の事情からワインを好まれるということで、東京大学本郷キャンパスの近くのイタリアンのレストランで懇親会を実施した。お気に召されたらしく、しこたまお飲みになっていたことを覚えている。
2013年5月に法人として最初の総会を開催した。結構頑張って準備をしていたつもりだったが、法律と定款に完全に従うため、従来の総会に比べて細かい形式的な修正点が非常に多く、かなりのどたばたになった。その総会の終了まで、加古会長が議長として仕切ってくださった(法人化前は、総会の途中で新会長に議長が交代し、法人化後は、総会終了まで旧会長が議長を務める)。総会終了後も後処理のためどたばたが続くのであるが、加古先生(だけではなく、理事のみなさん)が大目に見て下さり、無事に乗り切ることができた。ゆっくりお礼を申し上げる余裕がなかったのが悔やまれる。
幸い、その後も引き続き加古先生のご厚誼を得た。加古先生は大学をご退職されても悠々自適で研究を続けられておられ、その姿は研究者の鑑でもあり、うらやましいところもあった。当時の加古先生の年齢に私自身はまだ全然届かないにも関わらず、力の限界を感じている今日この頃、加古孝先生のお働きに改めて深い敬意を表するところである。生前のご厚誼に感謝し、ご遺族のみなさまに豊かな慰めの与えられることをお祈り申し上げる次第である。