学会ノート

Academy Father

2021年06月09日

ダグラス リ

京都大学大学院 情報学研究科

コロナ禍による閉塞した気持ちの続く日々を過ごしております折に敬愛する加古孝先生の訃報に接し、私は文字通り言葉を失ってしまいました。出張さえも憚られる頃でしたが、加古先生の奥様から電話で直接にお話を伺い、私は5歳になる子供を連れて京都から東京に赴き、ご葬儀に参列をして嘗ての指導教官に衷心からの哀悼と敬意を表すことに致しました。

 

加古先生のご葬儀では、清らかなお花に囲まれた加古先生のご遺体と対面して、昔日に頂戴したご指導が昨日のことのように鮮明に思い出されました。私は、1991年に、埼玉大学数学科で初めて加古孝先生にお会いしました。当時の私は未だたどたどしい日本語しか話せませんでしたが、加古先生は先生のご著書を私に渡されて読んでくるようにと指示されました。2週間後にお目にかかった際、先生は私の理解度をお尋ねになりましたので、私は読了した旨とその際に誤植と思われる4、5箇所を見つけた旨をお答えしました。加古先生は直ちに私と共にその箇所を照合され、校正の誤りと確認されると共に、とても嬉しそうなお顔をされてそのご著書を私に下さいました。これがご縁で私は加古先生の下での研究生になりました。1992年に加古先生は電気通信大学へ異動されましたが、私は加古先生に付き従って電気通信大学に転学することに致しました。実は当時の私の経済事情では埼玉大学と電気通信大学のその両方の研究生の入学金と授業料を払うことは容易ではなかったのですが、半年後には電気通信大学の大学院に合格して加古先生のご指導を受けられるようになり、その喜びから些かの苦労の気持ちが吹き飛んだことを今も鮮明に覚えております。

 

電気通信大学では5年間の大学院生活を送り、加古先生のご指導で数値解析の学修と研究を行いました。その中で加古先生から世界屈指の応用数学者として、Jim Douglas,Jr.先生のお名前を伺いましたが、その時には数年後にその方が私の義父になることなどは夢にも思っておりませんでした。私は1997年に博士課程を認定退学して東京での仕事を始め、1998年には学位論文を提出して理学博士の学位をいただき、加古先生の博士号第一号になりました。博士学位の取得直後には、仕事と博士論文完成の両立の疲労とストレスから私は高熱を出してしまい1週間の入院となりました。その際にも加古先生は入院先にお見舞いに駆けつけてくださり、その優しいお姿は鮮明に覚えています。東京での仕事では私は幸運に恵まれ、博士論文の成果の発展研究が許され、その成果で2007年には私と加古先生などで行なった特許申請が認められたことも忘れられません。実はこの特許に関る最後の部分は私が2004年に渡米してからのものですが、渡米前に加古先生にご挨拶に伺うと、「人生の中で貴方にご馳走しなければならない時が有るとすれば、それは今ですね」と仰られ、新宿で加古先生とお食事をしたことも思い出の一つです。その時の加古先生はいつになくお話が少なくて、私の人生の将来を案じてか、先生の目には霧があって曇っているように感じました。ただ私事になりますが、加古先生の一番のご心配の問題は2012年に終わり、旦那とハワイで挙式をあげました。披露宴には加古先生ご夫妻もご招待し、岡本久先生も祝福にお越しくださいました。また藤田宏先生からは“大器晩成”が含まれたご祝詞を頂き、加古先生を通して藤田先生までが私の結婚のことを心配して下さっていたことを感謝に思って胸に刻んでおります。

 

1993年には岡本久先生が数理解析研究所で主催された研究集会に参加をし、私の初めての研究発表を致しましたが、このことも心に残るエピソードの一つで,鮮明に記憶しております。研究集会に先立ち、加古先生からは磯祐介先生には気軽に質問してはいけません。余りに単純な質問なら、その質問にお怒りを買うかも知れませんよとのご注意を受けました。その時から30年近い歳月が経ち、現在,私は京都大学で磯先生の研究グループで仕事をしております。世の中の縁は本当に不思議なものと実感しますが、これも全て加古先生から頂いたご縁の中であり、加古先生にはとても感謝をしております。

 

私が加古先生に最後にお目にかかったのは2019年の夏でした。東京のホテルでお会いする約束で、息子には加古先生から誕生祝として頂いた服を着せて、夫と3人でホテルの中で加古先生と昼食事を一緒にしました。私は「先生、この服を覚えていますか?先生からいただいた服です」と息子の服のことを話題にしたのですが、加古先生は「覚えていないなあ」と微笑んでおられました。その日、加古先生はいつもと変わらないお元気なご様子でしたが、一つだけ、加古先生のお声が少し出にくかったことが気掛かりでした。今にして思えばご病気の治療の影響ではなかったかと思い、心が痛みます。
私は現在,京都大学で学部生に対する共通教育と、大学院生に対する応用数理の授業をしております。私は加古先生から導いていただいた応用数学・数値解析の知見を今の学生に伝え、少しでも社会のために役に立って加古先生へのご恩返しをしたいと夢を見続けています。加古孝先生のご冥福をお祈りいたします。合掌。