学会ノート
伊理正夫先生追悼特集(5):伊理正夫先生を偲んで
2018年10月20日
今井 桂子
いまい けいこ
中央大学
今年の春,30年近く前に執筆した伊理正夫先生との共著論文に関する問い合わせのメールが,海外の若い研究者から首都大学東京の室田一雄先生を経由して届きました.内容に関することではなかったのですが,それを機会に,問い合わせにあった伊理先生との論文を久しぶりに手に取りました.その後,数カ月して,伊理先生の訃報を受け取ることになるとは思わず,当時のことを思い出した出来事でした.
大学院で純粋数学を学んだ後,東京大学工学部計数工学科の伊理先生の研究室に教務職員として就職したのが,伊理先生との出会いでした.主となる業務は先生の秘書としての仕事で,その仕事を通して非常に多くのことを学ばせていただきましたし,秘書業務の他にも,研究者としての出発点となる研究もさせていただいたことを感謝しております.就職した直後,新しい環境に慣れることに一生懸命だったころ,「こんな関数列の極限関数の性質を調べたいと思っている」という数学の問題を話してくださいました.当時の伊理先生は多忙を極めておられ,研究室にいらっしゃらないことが多かったので,秘書業務の隙間の時間に研究室で喜々として証明をし,部屋に戻っていらした先生に聞いていただき,研究室の輪講でも発表させていただきました.当時,伊理先生は2つの講座を担当されており,私は幸運なことに2つの研究室での研究内容を授業料なしで勉強することができました.秘書業務とは別にそんなことをさせて頂けたのも,伊理先生のお人柄なのだと思います.東大に居た3年間,1年に1つ研究をまとめ,3編の論文がJapan Journal of Applied Mathematicsに載り,それらが冒頭に書いた,今年の春に受け取ったメールの内容にあった論文だったのです.
3年間,先生が学生と話しているのを横で聞いたこと,雑談の中などで話して頂いた研究の進め方,工学的なものの見方,言語を大事にさせる姿勢など,多くのことを学ばせて頂きました.伊理先生は多くの言語の豊富な知識をお持ちでした.当時はIBMの電動タイプライターを用いて,手紙や論文をタイプしていましたが,伊理先生の論文の参考文献の中には,ロシア語の論文もあり,タイプボールを取り換えてロシア語の論文情報をタイプしたことを覚えています.また,工学部長としてお忙しいなかでも,学外の多くの仕事を引き受けていらっしゃいましたが,学生が就職する際にも先生ご自身が多くの人との繋がりを持たれていらっしゃることが「学生のためにもなるだろうから」と思われていらしたようです.
伊理先生を通して多くの方と知り合うことができて,それが財産になっています.特に印象に残っているのは,当時,東大名誉教授でいらした森口繁一先生に研究に興味を持っていただき,共著の論文を出すことができたことです.森口先生は工学部6号館1階の名誉教授室から電話で「伊理君は忙しくて部屋にいないのだろうから,1階に降りていらっしゃい」とおっしゃって,名誉教授室で研究の話をさせて頂いたこともありました.伊理先生のことを「伊理君」と呼んでいらした方は私の知る限りでは森口先生だけだったように思います.他にも,岸本一男先生,室田一雄先生,杉原正顕先生などと土曜日の午後にセミナーをさせて頂く機会もあり,今から思うと,その後様々なところでお世話になる方々と,伊理先生を通して知り合いになることができました.伊理先生の教えを受けた方々は非常に沢山おられ,様々な分野で活躍されていらっしゃいます.多くの人からなるネットワークの構築にも尽力されたのも,功績だと感じていらっしゃる方が沢山いらっしゃるのではないかと思います.私もそのような巨大なネットワークの端の方に挿入して頂いたことを感謝しています.
1992年に中央大学理工学部情報工学科ができたとき,設立時のメンバーとして加えて頂き,伊理先生が退職されるまでの10年間,同じ学科で勤務するという機会に恵まれました.設立時のメンバーには,伊理研に関わりのある,浅野孝夫先生,田口東先生,久保田光一先生のお名前もあり,伊理先生の退職後も引き続き一緒に勤務しています.伊理先生は中央大学にいらした10年間のうち1997年から2001年までの5年間,私立大学学術研究高度化推進事業「ハイテク・リサーチ・センター整備事業」として採択された「統合型地理情報システム」研究グループの研究代表者を務められていらっしゃいました.地理情報に関する造詣も深く,直接伺ったことがあるわけではありませんが,それは,伊理先生のお父様が第二次世界大戦中,陸軍参謀本部にあった陸地測量部にいらしたことが関係しているのかもしれません.毎年行われていた“統合型地理情報システム”シンポジウムには,産官学の各分野の多くの方が参加されていました.シンポジウムの予稿集に掲載されている伊理先生の原稿(http://www.ise.chuo-u.ac.jp/TISE/pub/symp_igis/19980129-iri.html)は,今も研究の指針となるもので,伊理先生の目指していらしたものに近づけるために,更なる研究が必要だと感じています.
先日は杉原厚吉先生と共に,情報工学科で伊理先生と共に勤務した浅野先生,田口先生,久保田先生と共にお通夜,告別式のお手伝いをさせて頂きました.お別れのときに,少しは恩返しができたのではないかと考えています.
伊理先生の遺された多くの研究は先生が構築された人のネットワークを通して,今後も世界中に広がり,科学技術の発展に寄与していくことを確信しています.心よりご冥福をお祈りいたしております.