学会ノート
伊理正夫先生追悼特集(2):伊理正夫先生を偲んで
2018年10月20日
甘利 俊一
あまり しゅんいち
理化学研究所
私が東京大学工学部数理工学コースの大学院修士コースに入ったときに、伊理さん(伊理正夫先生というべきだが、慣れ親しんだ名前で呼ばせてもらう)が博士コースの2年にいた。同じ部屋ですぐ後ろの机である。伊理さんは麻布高校開闢以来の秀才、東大理Iでも1,2を争う秀才として名高く、数理工学など、当時全く無名のコースに進学したのは周囲の驚きであった。数理の手法で工学を考究したいとの、本人の強い信念でここへ進学した。
一方、できの悪い私はこのコースに潜り込めて、伊理さんにじかに教わるという幸運に恵まれた。数学の英語の本を読んでさっぱりわからない。伊理さん、この英語の意味は何ですかと恐れ恐れ伺い、さらに数学までを聞く始末で、伊理さんは何とできの悪い学生が入ってきたものかと、あきれ果てたのではなかろうか。
研究室で、私がもらった机は溝尾由美さん(のちの伊理夫人)が使ったものであったが、彼女は助手になってすぐ下の研究室に移った。でもよくやってきて、伊理さんにコーヒーなどを入れてくれる。お邪魔虫が私で、無視するわけにもいかないと私にも入れてくれた。研究室で那須にハイキングに出かけた。10月、素晴らしい紅葉に恵まれた。由美さんは、おいしいお弁当をみんなの分も作ってくるからと張り切っていた。しかるに、「風邪ひいた、行けぬ」との電報が入り、伊理さんはこなかった。私はこれは美味しいとお弁当を平らげたが、由美夫人には恨まれたかもしれない。
そのうち、私を練習相手と認めてくれたのか、伊理さんがいろいろ新しいことを勉強したり考えたりする度に、甘利さんちょっといいですかと、講義をしてくれた。パラメータ励振の仕組み、ポントリヤーギンの制御理論など、話題は広い。人に話すことは自分の理解を深める最良の道である。私にとっては新しい世界を勉強するだけでなく、伊理さんの考え方、学問の作り方にじかに接してまさしく目が開ける良い機会であった。伊理さんは私を学問の道へと導いてくれたかけがえのない師であった。
私も伊理さんが切り拓いた電気回路のグラフのトポロジーを初めは研究したが、この世界にいたのではとても伊理さんの足元にも及ばない。そこで、連続体力学、さらに情報の幾何へと研究テーマを広げていった。
時は流れ、ともに東大の計数工学科の助教授となっていたときにも、講座こそ違え、私にとっては高嶺の花と咲く相談相手であった。私が情報幾何の構想を得て、それなりの結果を得たと確信したときに、真っ先に伊理さんの部屋を訪れて、聞いてもらった。信頼でき、しかも学問的な意義が良くわかる人は他にはいない。一方、伊理さんがマトロイドの分解定理を考案したときに、やはり私の部屋を訪れて、甘利さんちょっと新しいことを考えたので聞いてくださいと、真っ先に新理論を聞かせてくれた。
ともに数理の世界で異なる道を歩んだが、数理工学にかける想いは同じである。自らが切り拓いた現在の数理工学の隆盛を、伊理さんは喜ぶとともにこれに満足せず、さらに先を見て批判していることであろう。私としてはかけがえのない師であり、最高の理解者である伊理さんの冥福を祈るばかりである。