学術会合報告
ICIAM2015(2): ICIAM2015北京印象記
2015年11月02日
加古 孝
かこ たかし
電気通信大学 名誉教授/産学官連携研究員
★はじめに
応用数理国際会議 (ICIAM, International Conference for Industrial and Applied Mathematics) の第1回会合は1987年にパリで開催され、それ以降4年に一回のペースで継続してきており、2015年は北京で第8回目の会議が行われた。ちなみに、これまでの開催場所は: Vancouver (2011), Zürich (2007), Sydney (2003), Edinburgh (1999), Hamburg (1995), Washington (1991), Paris (1987)となっている。次回は2019年にSpainのValenciaで開催予定であり、その次の2023年の開催場所は、2017年に行われる参加各国代表による応用数理国際評議会 (ICIAM, International Council for Industrial and Applied Mathematics) のボードミーティングで決定される。現在、日本での開催が日本応用数理学会の中で検討されている。
★会議の参加者数や財政規模
さて会議は、北京のオリンピック公園 (地下鉄8号線のOlympic Green駅下車) の中にある国際会議場で開催され、当日配布されたProceedingsにある記述によれば、70か国以上から3400人を超える参加者が予定されていた。会議の参加費は事前登録で3000RMB (人民元) ≒58200JPY (日本円) であり、学生の会費は半額でその参加者数は全体の約4分の1を占めたので、全体としての平均的参加費は2600RMBとなる。会議の後半の会場で関係者に聞いたところでは、会議の運営にかかった費用は約1200万 RMB (人民元) ≒2億3300万JPY (日本円) であり、7割が上記の参加費で賄われ、残りの3割は主たるスポンサーのNational Natural Science Foundation of China, Ministry of Education of the People’s Republic of China, Ministry of Science and Technology of the People’s Republic of China などの中国政府機関とChinese Academy of Sciences (中国科学院)、および会議のスポンサーの中国の各大学、そしてSpringer などからの資金提供とのことであった。12,000,000RMB×0.7/ (2600RMB/人) =3200人なので勘定は合っているように思われる。
★会場へのアクセスや周辺の環境
会場の周りには、地下鉄Olympic Green 駅の周辺に数十軒ほどからなるレストラン街が有り昼食を取るには困らなかった。宿泊に関しては、近くに適当なビジネスホテルが少なく、またホテルと会場の間の交通の便も地下鉄が主で、場所によってはタクシー以外には1キロから2キロの距離を歩くようなホテルも主催者の薦めるものの中に有り、炎天下を歩いて行き来するのは結構大変だったようである。北京は主要道路の幅が広く、目標の建物がすぐそこに見えていても、歩いて到達するには日本の場合の倍以上かかる感じがあった。ただし、タクシーがつかまれば、基本的に安全で価格も日本の半分くらいの感じであり便利だった。北京空港から北京市内へは空港内から快速鉄道で30分ほど乗れば三元橋という市内の地下鉄10号線の駅に接続しており、値段も片道25RMBと適切な価格であった。地下鉄も20RMBのデポジットを払ってカードにチャージすれば日本と同じように改札を自動的に通ることが出来る。ただし、テロへの警戒が厳しく、手荷物は各駅で機械によるチェックが行われており、ラッシュ時には行列が出来ていた。これも慣れれば前もって時間の見積もりが出来るようになって、地下鉄は非常に便利な北京における交通手段になっている。
★参加登録をへてプログラムの検索まで
今回のICIAM2015のような大きな規模の国際会議に参加する場合、招待講演ですら3つの講演が並行して行われ、70近い数のセッションでミニシンポジウムや一般講演が5日にわたってある状況で、興味のある講演に出席することは前もってプログラムを精査しておかなければならないが、当日近くになって初めてプログラムが配布される状況では聞きたい講演を網羅することは不可能である。私の場合、会場で参加登録を済ませた後で、辛うじて資料を広げることが出来る場所を確保して出席する講演を決めることにした。まず、プログラムの先頭にあるオープンニングセッションに参加するとともに、次に掲載されている招待講演のスケジュールから参加する講演をチェックしたのち、個別のセッションについては、分野とテーマを幾つかに限定し、その分野で知っている研究者を冊子中の参加者のアルファベット順の一覧表から探し出し、対応する講演を見出して出席することにした。レジストレーションではプログラムのファイルが入った京劇の面が素敵にデザインされたメモリースティックも配られたが、検索すべきキーワードが漠然としか思い浮かばないためにあまり利用しなかった。やはりよく組織化されたプログラムに基く印刷された索引付きの冊子が情報検索には必須である。
★興味を持った講演
私が着目した研究分野のキーワードは、固有値の数値解法、振動や波動問題の数値解法、最適化、逆問題などである。特に、非線形固有値問題とその数値解法については、TU Berlin のVolker Mehrmann による招待講演とともに筑波大学の櫻井鉄也のグループの講演が組み込まれたミニシンポジウムが3セッションあり、なるべく多くの講演を聞くことにした。また、波動現象の数値計算法と応用に関しても、散乱の逆問題に関連した興味深い話題の講演を含むミニシンポが幾つかあり狙いをつけて講演を聞くことにした。それ以外の話題に関しては、以前から知っている研究者の名前を見つけて講演時間を見ながら可能な限り出席することにした。さらに、日本人研究者がオーガナイザーに入っている、数理の産業応用に関する二つのミニシンポジウムにも参加することにした。
★会場の配置など
会場は4階建ての一つの建物に集められており、フロア間の移動が最初は多少不便に感じたが次第に慣れてくると結構便利な配置になっていた。ただ、会場内で講演会場以外に座って作業できる場所が、1階の主要3会場の出入り口近くの50席ほどの椅子とテーブルと4階の通路の20席ほどの椅子、および20席ほどしかない2カ所のカフェテリアだけだったため、そこには常に誰かが座っており、椅子に座ってパソコンを使うことや本を読むことが極めて不自由だった。床に座り込んで作業を行っていた若者もよく見かけた。あと不自由に感じたのは、連絡用の掲示板が用意されていなかったことであり、スマホを持たない者にとっては知人と連絡を取ることが非常に困難であった。
以下、時を追っての参加報告を続ける。
★会議前日
会議前日の夕方には4階の広い通路を使ってWelcome Reception の会場が用意され、参加登録した時に配布される名札を身につけて書類の中に挟まっていたチケットを入り口で渡すと入場できた。かなり広いスペースに多数用意された飲み物やスナックを自由に取りながらストールを囲んで歓談することが出来た。ただ、日本人参加者の中にはチケットが配布物の中に入っていることを知らなかった人やWelcome Reception は特別に招待された人だけが参加できると誤解していた人もいたようである。
★初日の開会式行事とICIAM Prize の受賞式と授賞内容の紹介
中国の伝統的な歌と踊りと楽器演奏などのアトラクションに続いて、李源潮国家副主席を主賓に迎えて開会式が行われた。次いで、今回初めての試みとして5つのICIAM 賞と受賞者の紹介スピーチ(Laudation speech) が各賞につき15分ずつ行われた。各受賞者は2日目以降にほかの招待講演に交じって講演を行ったが、招待講演は3つ並行して行われたため、ICIAM の賞の受賞者の講演をすべて聞く機会が無かったということもあり、このような受賞者すべての業績紹介を聞く機会を設けることは悪くない試みであったと思われる。以下に、各賞と受賞者の業績を簡潔に紹介する。詳細についてはICIAM のホームページにある以下の記事を見ていただきたい:
ICIAM Announces 2015 ICIAM Prizes:http://www.iciam.org/council/council_tf.html
1.Collatz Prize:この賞は、応用数理分野において傑出した業績を上げた42歳以下の研究者を顕彰することを目的にGAMM (Gesellschaft für angewandte Mathematik und Mechanik) によって1999年から設けられたもので、IMATI (Istituto di Matematica Applicata e Tecnologie Informatiche) のDirector を務めるAnnalisa Buffa が受賞した。Buffa の業績は多岐にわたるが、最近では招待講演でもテーマにしたspline を基礎にした偏微分方程式の離散化手法における解の精密化アルゴリズムの研究を精力的に行っており、T-spline やhierarchical spline などを用いて新しい理論誤差評価を得ている。紹介スピーチはGAMM の会長であるVolker Mehrmann が行った。
2.Lagrange Prize:応用数学分野において傑出した業績を上げた経歴をもつ研究者に授与されるもので、仏西伊3国の応用数理分野の学会、SMAI (仏)、SEMS (西)、SIMAI (伊) が共同して1999年から始めた賞である。今回はCourant Institute at New York UniversityのAndrew Majda が受賞し、紹介はMax Plank Institute of Mathematics in the Sciences のFelix Ottoが行った。Majda の業績は多岐にわたりいずれもその分野の研究動向をリードしてきたが、特に3次元Euler方程式の解の正則性に関するBeale–Kato–Majda theorem は有名である。その他にも流体関係で多くの革新的な仕事を行っており、その中には今回Pioneer Prize を受賞したEngquist と共同で行ったABC/RBC による無限領域での波動伝搬問題の扱いに関する研究などがよく知られている。
3.Maxwell Prize:この賞は応用数学分野で優れた業績を挙げた研究者に贈られるもので、Univercite Pierre et Marie Curie のMichel Coron が受賞し、Oxford Brooks UniversityのAlistair Fitt が紹介スピーチを行った。Coron の最もよく知られている業績としては、Euler 方程式やNavier-Stokes 方程式などの非線形偏微分方程式の解の制御に関するものがあげられる。
4.Pioneer Prize:この賞は文字通り影響力が大きなパイオニア的な仕事をした研究者に与えられるもので、今回は University of Texas at Austin のBjorn Engquist が受賞した。主たる業績としてはA. Majda と共に行なった無限領域での波動現象の数値計算を有限領域の問題に帰着させるためのABC/RBC (Absorbing/Radiation Boundary Condition) についての先駆的な研究とその広範な応用分野への適用がある。また、A. Harten およびS. Osher と共同で行った非線形保存則の数値計算法に関するENO (Essentially Non-Oscillatory) スキームの仕事、E Weinan 等と共同で行ったHMM (Heterogeneous Multiscale Method) についての先導的研究も影響力があるパイオニア的業績である。業績紹介のスピーチはPioneer Prize subcommittee のchair を務めた筆者の加古が行った。
5.Su Buchin Prize:これは数学の経済や社会の発展への応用、特に発展途上国における寄与が大きかった研究者に与えられる賞であり、Fudan University のLi Tatsien (李大潜) に授与された。授賞理由は、非線形弾性体や気体の基礎方程式である非線形双曲型偏微分方程式の数値解法とその鉱山開発や石油採掘などの産業応用であり、中国における多くの企業との共同研究を行ってきている。業績紹介を行ったのは、中国科学院 (CAS) 中のAcademy of Mathematics and Systems Science所長のYuan, Ya-Xian (袁亜湘) である。
★幾つかの招待講演から著者が出席したものに限って印象に残ったものを紹介する。
1.Ian Sloan, The Univ. New South Wales はWhat’s new in the high-dimensional integration?–designing Quasi Monte Carlo for applications と題して長年にわたる多次元数値積分法に関する研究のサーベイを行った。多くの応用につながる研究テーマであるが、依然としてこれこそと思える方法は見つかっていないという印象を受けた。
2.Yasumasa Nishiura (西浦廉政), Tohoku University (東北大学) はOn the interplay between intrinsic and extrinsic instabilities of spatially localized patterns という題で、おかれた環境の違いと内在的なダイナミックスの相互関係に基づく生物の局所的時空パターン形成について最近の研究成果を紹介した。大変意欲的な発表でこの分野の研究の将来性を感じさせる講演であったが、出来ればもう少しわかりやすい導入部分を設定して本題に入ると理解が深まったのではないかと思われる。ただし、WebsEdge/Education 社がICIAM 2015 TV という会議のヴィデオ記録を作成しているが、その中の西浦に対するインタヴュー:http://www.websedge.com/videos/iciam_tv/#/collision_dynamics
では大変わかりやすく自らの研究を紹介しているので一見することをお勧めする。
3.Seo, Jin Keun, Yonsei University (延世大学) のMathematical models and methods for noninvasive bioimpedance imaging という講演は、韓国において国家重点的に進められている研究分野の一つである、非侵襲的に生体内部の情報を得るための生体 (インピーダンス) 逆問題分野の研究について、最近の研究成果を含めて総合的に紹介したもので韓国における逆問題研究のレベルの高さと広がりを如実に示す講演であった。
4.Volker Mehrmann, Technische Universtat Berlin は、Modeling, simulation and control of constrained multi physics systems という講演を行なった。ダンピング項を含む時間につき2階の運動方程式に対応する2次の固有値問題を典型例とする非線形固有値問題について現れる質量行列が特異になる場合も含めてその数値解法についてサーヴェイを行った。そこでは数値解法として櫻井–杉浦法などの周回積分法が有力な方法であることについて触れられ、関連する振動・音場の制御と最適化について研究を行っている私にとって大変興味深い内容の講演であった。
★その他の特に印象に残った講演など:
1.L. N. Trefethen (Univ. of Oxford) の “Mathematics of the Faraday Cage” と題した講演は、複雑な電磁気現象に対するスパコンの利用も意識した新しい数値解法に関する講演であり、関連するテーマのミニシンポジウムに組み込まれた一般講演だった。内容は鳥籠型のケージによる電磁遮蔽についてのファラデーの実験を数値シミュレーションするというもので、様々な数値手法が試され、特異摂動問題なども絡んでスリリングともいえる興味深い講演であった。詳細は SIAM Review, Vol.57, No.3, pp.398-417 (2015) に掲載されている。その論文中にあるFig. 7.1 は、真の物理現象と均質化近似問題、および点電荷による近似の関係を図示したもので、アンテナが関係する電磁現象の数値計算的な困難と面白さを如実に表している。実際、八木・宇田アンテナを含む線状アンテナの数値計算に関してすら多くの問題が残されているというのが筆者のこれまでの経験を踏まえた実感である。Trefethen の目の付け所の良さを鮮明に印象に残す講演だった。
2.電磁遮蔽に関連して、電磁波や音波に対する透明マントを実現することに関係するcloaking 現象についての講演も幾つかあり、この方面の研究者層が厚くなっている印象を持った。ただ、日本ではこの分野の研究者はほとんど見当たらない。逆問題や特異的な物性を示す材料設計などとも関係がある研究対象であり、少なくともアカデミックな観点から日本でも応用数理的な研究が今後進むことを期待したい。
3.産業応用に関する講演としては、Mathematics for Industry: Analytical, geometrical and statistical methods to solids, fluids and plasmas というテーマによるミニシンポジウムが九州大学のIMI (Institute of Math for Industry) の福本康秀が組織して開催された。またIMI の活動については、若山正人が世界各国の産業応用への数理的取り組みについて紹介する特別セッションで日本からの取り組みとして講演を行った。さらに、アイシン・エイ・ダブリュの井手貴範、筑波大学の櫻井鉄也、University of Helsinki のS. Siltanen がオーガナイズしたMathematical solutions of industrial applications というテーマのミニシンポジウムも開催されたりして、日本の応用数理分野の産業応用への取り組みの特徴がよく表れていた。
★今後に向けて
今回はアジアにおける応用数理の国際的な取り組みにおいて中国が一歩先んじた形になったが、日本も個別の応用数理の様々な分野で長年にわたり取り組みを続けてきており、十分にICIAM を開催できる実力がある。開催地や開催経費の点でも大いに可能性があるので、2023年日本開催を目指した努力を続けていくことが望まれる。特に、国際的な共同研究を基礎としたミニシンポジウムの開催について、次回の2019年バレンシアでの会議での多数のミニシンポジウムの組織を今から意識的に準備することが非常に大切であると思う。日本応用数理学会の研究部会はそのために大きな役割を果たすことが期待される。また、日本数学会、日本計算工学会、日本シミュレーション学会を始め、関係諸学会に対しても協力を求め、共同して2023年のICIAM 日本開催の準備活動を行うよう要請することが肝要である。
★終わりに
今回で10度目の訪中で北京へは4回目の滞在になった。中国の変化にはいつも驚かされ続けたが、今回は北京のさらなる変化を肌で感じることが出来た。その象徴としてオリンピック公園内の建造物がある。広い敷地の中にはオリンピックスタジアムの”鳥籠”を始めとして会場になった国際会議場や体育館が高級ホテル群を従えて立ち並び、大気汚染は深刻だが夜には空に人工的な照明がきらめいて、一帯は家族ぐるみで楽しむ遊園地としても機能していた。北京では崩落事故などをものともせず地下鉄の建設が続いており、それと連携して新しい地下鉄の駅を中心に故宮の西に什刹海 (シーチャーハイ) や北京空港と地下鉄の交差する三元橋 (サンユエンチャオ) など観光スポットが生まれている。一方で宿泊したホテルの隣などには経営不振からか廃屋化したビルなどもあったり、中心街の王府井 (ワンフウチン) では新旧の飲食店が混在していたりして、北京の変化の激しさがうかがえた。
世界人口の5分の1近くを占める中国の将来がどうなるかは我が国にとっても大きな関心事である。安価で巨大な労働力を背景に世界の工場の役割を果たしている中国に集まる富が中国内部で偏在化しつつ、しかし全体として消費文化が急速に進展しつつある中国の現状は、日本におけるバブル崩壊前夜を思い出させるところもある。再び良好で安定した日中関係が戻ってくるためにも中国経済が安定成長へ向かうことを望みたい。以上、東日本大震災などで一時激減したが再び増加しつつある中国人観光客で満席になった飛行機に乗り込み一路帰途に就いた。